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【幕府陸軍】
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もしも徳川慶喜が戊辰戦争で戦っていたら?
慶喜は西軍に対し、一時は戦う姿勢を見せ、家臣たちを鼓舞。
しかし実際は、単独で江戸へ帰ってしまう、しかも女連れで引き換えすという驚きの行動に出ました。
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これで幕府軍はどうしようもならなくなりましたが、まだまだ戦う意志のある武士たちも当然います。
海軍からは、榎本武揚らが北へ向かいました。
陸軍は荒れに荒れて戦場へ引き寄せられてゆきます。
慶喜は謹慎して何もしない。そんな調子ですから、勝海舟ら幕臣が事態の収集に乗り出そうにも、ことはどうにもなりません。
それでも戦場へ向かう兵士たち。
なぜ彼らは戦い続けるのか?という疑問もあるかもしれませんが、兵士とはそういうものとしか言いようがないでしょう。
本当は戦いたくなかったとしても、敵が攻めてくる以上は戦わねばならぬ。
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慶喜は一人戦意喪失して戦線離脱していました。
しかし、会津藩はじめ奥羽越列藩同盟は、拳を振り上げ(それを下ろせない)西郷隆盛らに攻められ、戦うしかなかった。
大鳥圭介率いる伝習隊、古屋佐久左衛門率いる衝鋒隊といった諸隊は、士官のもとで戦闘を継続。
そして皮肉にも、無能な指揮官が去り、残った大鳥圭介、土方歳三らの幕臣が有能だったため、戦いは善戦するようになった。
勝敗がほぼ決していながら、大鳥も古屋も、指揮官として有能だったのです。
そこで考えたいのが、本記事の問いかけ。
実は小栗忠順には、大村益次郎や江藤新平も恐れたという戦術がありました。
海軍と陸軍が連携して西軍を迎撃するもので。
大鳥や古屋などの指揮官たちが前線で働けたら、「勝てる」とまで断言はできませんが、かなり違う結果になっていたでしょう。
しかし、です。
大事なのは、その指揮官ひいては総大将のメンタルだということです。
いくら将兵にやる気があっても、総大将が怯えていては勝てません。誰も命を投げ出せません。
徳川慶喜は聡明で知られていましたが、軍隊がいくら強くても、将軍本人にやる気がない以上は、戦うも何もありません。
身も蓋もない結論で申し訳ありません。
事実上、総大将不在となってしまった幕府軍ですが、最後まで戦い続けた者たちも多数おります。
彼らの動きに注目したいと思います。
箱館戦争へ 幕府軍の終焉
物資の補給もできず、フランスからの支援も受けられない状況。
ブリュネのように個人の意志で参加する者もいましたが、幕府軍の諸隊は北へ北へと追いやられていきました。
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そして辿り着いたのが函館。
強力な幕府軍の海軍が注目されますが、大鳥圭介も函館政権の中枢で改革に取り組んでいました。
しかし、敗色濃厚な戦況下では、そう長く持ちません。
新政府軍の攻撃を受け続け、降伏論も出てきた。
近藤勇を死なせたのに自分だけが生き延びてしまった……という思いの土方歳三は、死に場所を求めて戦っていると周囲に語るほど。
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彼はその悲願通り、近藤に遅れることおよそ一年で戦死を遂げました。
古屋佐久左衛門も戦傷死を遂げました。
弟の高松凌雲は医師としてその名を残しています。
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戦う場所、自分が活躍ができる場所を求めているタイプだった大鳥圭介は、明治以降も才智を縦横に発揮します。
榎本武揚は、黒田清隆が才を惜しみ助命を嘆願したことで生き延び、明治政府に出仕。
ただし、「せっかく函館まで転戦しておきながら情けない!」と『痩我慢の説』で福沢諭吉から罵倒されています。
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こうして箱館戦争をもって戊辰戦争は終了。
幕府の陸軍は今なお忘れ去られたままの存在となってしまいました。
幕末に存在した名もなき兵士たち
幕政時代は連戦連敗。
戊辰戦争になると伝習隊や衝鋒隊といった「諸隊」と称され、わかりにくい存在となってしまった幕府の陸軍。
そもそも負けたのだから、功績を辿る必要もないとされてしまいますが、果たしてそれが正解なのでしょうか。
各地で組織された農兵隊にせよ。
幕府の歩兵隊にせよ。
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近代化に向かう中で彼らは確かに存在しました。
徳川慶喜が戦意を喪失してもなお、戦うプロフェッショナルとして北へと向かったユニークな存在なのです。
土方や榎本らの名前ばかりが先行しますが、兵がいなければ彼らとて戦えるはずはありません。
しかも彼らは決して弱かったのではなく、指揮系統の乱れゆえ、能力が発揮できなかった要素が大きい。
今なおひっそりと歴史に埋もれてしまった幕府陸軍歩兵隊。
時には、戦場で戦った彼らに想いを馳せることも大切ではないでしょうか。
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文:小檜山青
【参考文献】
野口武彦『幕府歩兵隊』
野口武彦『鳥羽伏見の戦い: 幕府の命運を決した四日間』
野口武彦『慶喜のカリスマ』
他