村田新八

村田新八の肖像と南洲墓地にある墓石/いずれもwikipediaより引用

幕末・維新

大久保と西郷の間で揺れた村田新八~悲運のラストと42年の生涯まとめ

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村田新八
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戊辰戦争

王政復古や坂本龍馬暗殺など、時代が大きく展開した慶長3年(1867年)。

村田は、京都守護職屋敷前で会津藩士と斬り合いになり、負傷してしまいます。

この負傷の影響が響いたのでしょうか。

村田は、他の薩摩藩士と比較すると、戊辰戦争での活躍が目立ちません。軍人としてのキャリアは、ここで途切れて閉まった感すらあります。

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もっとも、これは負傷の影響だけとは言い切れないようです。

村田は桂久武から西郷の側を離れぬよう命じられていたという事情もありました。

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西郷のボディガードのような役目を果たしていたため、活躍が制限された可能性もあります。

 

岩倉使節団に参加、フランス留学

明治2年(1869年)、村田は鹿児島常備隊がつくられた際、村田が砲兵隊長となった――とされていますが、史料的には裏付けが取れておりません。

明治維新後、村田は負傷と疲労がたたったのか、しばらくは病気療養をしておりました。

出仕を求められても、積極的に応じることは難しかったようです。

そして明治4年(1871年)、村田は宮内大丞として岩倉使節団に参加します。

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旅の途中で思うところがあったのか、使節団を抜け、職を辞してまで、自費でのフランス留学を願い出ます。しかし……。

のちに村田は「この留学生活では何も得るところがなかった」と自嘲気味に書き残しております。

一文だけで判断するのは少し乱暴かもしれませんが、素直でユーモアを持ち合わせた方だったような一面が見えてきますね。

 

西郷と大久保のはざまで

明治7年(1874年)、村田は帰国しました。

その心中は穏やかではなかったことでしょう。当時、政局では征韓論が勃発していたのです。

「これは西郷と大久保の争いだ」と、村田は悟っていました。

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両者と親しい村田です。心中は辛いものがあったことでしょう。

二人の言い分を聞こうと、村田は心に決めます。

まず大久保の言い分を聞いた村田は、次に鹿児島にいる西郷のもとへ。

村田は、大久保の理屈に理解を示しました。

しかし、心情的には西郷についてしまうのです。

「西郷とは離るべからざる関繋(かんけい)だから」

村田は、周囲にそう語っています。

人を引きつけてやまない西郷の魅力。

その魅力は、マイナスの方向に動き始めたとき、周囲の人々を一緒に不幸へ呑み込んでしまう性質のようで……。

村田もその一人でした。

 

西南戦争に散った父子

帰郷した村田は、西郷と共に生きる日々に戻りました。

そして時代は、明治10年(1877年)の西南戦争へと向かってゆきます。西郷と離れられない村田も時代のうねりに巻き込まれました。

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村田だけではありません。彼の二人の息子も従軍していました。

このうち、長男・岩熊は19の若さで戦死。

村田は岩熊戦死の報告を受け取ると、「死に場所を得たのだ」とだけ言い残しました。その胸中は複雑なものであったことでしょう。

明治10年(1877年)9月24日、城山の戦いにおいて、西郷とともに村田は戦死しました。

胸には銃弾がめり込んでいたと伝わります。

享年42。

西郷と生き、西郷とともに死す。まさに離れられない関係。

音楽を愛した村田が、アコーディオン(風琴)を戦中でも演奏していた――そんな描写がなされることがあります。

確かに彼は音楽をこよなく愛していました。

思わずその音色を想像してしまいますが、西南戦争時に演奏していたという記録はないようです。

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文:小檜山青

【参考文献】
桐野 作人・則村一・卯月かいな『村田新八 (歴史新書)』(→amazon
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