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実朝&義満&家光! 将軍家を継いだ三代目たち その差はどこに?

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主に性格的な面から、同じ三代目の将軍である足利義満、源実朝や徳川家光を比較してみたいと思います。今回は創業社長さん必見ですよ!

1358年(延文三年)8月22日、足利義満が誕生しました。

おそらく、室町幕府で一番有名な将軍でしょう。
そもそも「室町幕府」と呼ばれるようになったのも、彼が京都室町という場所に屋敷を建て、そこで政務を行ったから。

初代・足利尊氏や二代目・足利義詮(よしあきら)も形無しですね。
足利時代にしてやれよと同情しないでもありません。

二人は戦続きでしたので、三代目・義満の代になってやっと腰を落ち着けた感があります。

 

「おい、この景色うちの庭にもってこいや」

義満は11歳で将軍になるというとんでもないチートコースを歩みました。
今で言えば小学生ですね。

父親の義詮が47歳で亡くなってしまってしまい、急遽、跡継ぎとなり、普通の人ならこの後の惨劇が予想されますが……義満は真逆の功績を残しました。

金閣寺を建てたこと。
南北朝に分かれていた天皇家を再び合流させたこと。
日明貿易(勘合貿易)を始めたこと――などなど、どれも歴史の授業で必ず出てきますよね。

足利義満/wikipediaより引用

発想もブッ飛んでいて、こんなエピソードが残されております。

10歳の頃、現在の尼崎あたりに泊まったときのこと。
詳しい場所は不明ですが、とあるところの景色をとても気に入ったそうです。

風景を愛でる10歳児というのもなかなかですが、義満のブッ飛びっぷりはここから。
少年義満、なんと「ここの眺めが気に入ったから、お前達担いでオレの家まで持って来い!」と言い放ったのだとか。

家臣たちはビックリ仰天。
どこからツッコんでいいのかさえわかりません。

この後どうしたかは記録されていませんが、さすがに説得したんでしょうね。
「三つ子の魂百まで」といいますが、こんな人なら「お寺を金ぴかにしようぜ!」とか言い出すのも何となくわかる気がします。

※なお、義満とセットで語られる一休さん(一休宗純)は1394年生まれ・後小松天皇の子という説が有力です

 

家光と政宗のゴールデンコンビ!

さて、ここで時代を250年ほど先へと進めてみましょう。
この時代にも義満とよく似た人がいました。

その名は徳川家光。
皆さんご存知の通り、江戸幕府の三代将軍です。

彼もまた逸話に事欠かない人です。

徳川家光/wikipediaより引用

お忍びで城下をほっつき歩いていたとか。
家臣の家にしょっちゅう遊びに行って困らせていたとか。

同じくネタの宝庫・伊達政宗とは派手好みで気が合ったのか、こんな逸話が残っています。

家光が将軍についてすぐのこと。
江戸城の大広間に諸大名を集め、挨拶をすることになりました。

家光は病弱な質でしたし、まだ若く戦場を知りません。
戦国時代を潜り抜けてきた大名達にとっては、「さーて今度の将軍はどんなヤツだ?」と値踏みする機会でもあったでしょう。

そこで家光は言いました。

「爺様(徳川家康)と父(徳川秀忠)はお前らと一緒に戦に出たこともあるから、友達気分のヤツもいるかもしれない。
でも、オレは最初から将軍なんだから二人とは違う!
オレが主、お前らは臣下だ!
不満があるヤツは城に帰って戦支度をしろ!
オレが相手になってやる!!」

ざわざわ……ざわざわ……。
このカイジ的な発言に、大名や家臣たちは二重の意味でざわめきます。

そのとき、もう一人の声が響き渡りました。

「いやいや上様!
上様がわざわざ出る必要などありません!
そのような不届き者、僭越ながらこの政宗が代わりに成敗してくれましょう!!」

野心満載で有名な政宗が自らこう言ったことにより、他の大名も家光に従う姿勢を見せたといいます。

もっともこの話、あまりにもできすぎていて信憑性はアヤシイですが……(政宗の場合、怪しい話が本当だったりするので困りますが)。

政宗が「上様はまだお若くてナメられるだろうから、一芝居打ちましょうw」と家光に勧めた、という説もありますね。
二人の性格からすると、どちらかというとこちらの方がありそうな気もします。

 

意外にも和歌を愛した鎌倉将軍

こうしてみると、三代目の将軍って派手な人ばかりで……いやいや、教科書からも忘れられそうなあの人を思い出してあげましょう。

鎌倉幕府の三代将軍・源実朝(さねとも)です。

公暁に暗殺された源実朝・背景には北条義時の姿も囁かれ……/Wikipediaより引用

彼は上記の二人とは全く違うタイプ。
武士にしては珍しく、個人の歌集「金塊和歌集」を作っています。

中に収められた和歌は600首以上。
百人一首の中にも
「世の中は つねにもがもな なぎさこぐ あまの小舟の 綱手かなしも」
という歌が取られています。

選者の藤原定家と実朝が和歌の師弟だったので、その縁もあったのでしょう。

ちなみに、この方が将軍になったのは12歳。
源実朝と斎藤龍興が教えてくれる歴史の教訓は「中学生(12~13歳)に跡を継がせる」なということでしょうか。

どうせなら小学生のときに譲りましょう。
単なる偶然ではない何かがあるかもしれません。

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【参考】
国史大辞典

 



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