江戸時代

「目安箱」は単に「箱」と呼ばれていた? 批判するなら住所・氏名を明記して

「よし、社員の声に耳を傾けるぞ! 社内に目安箱を置くから何でも言ってきなさい」

なんてコト言う社長に限って、パフォーマンスばかりで実際は聞く耳なんて持っていない。昭和のダメ会社あるあるですね。

そんな風にしてよく耳にする「目安箱」ですが、もとは江戸時代に八代将軍・徳川吉宗の考案で設置された投書箱だというのはよく知られた話でしょう。

実は当時、この箱は「目安箱」などと呼ばれていませんでした。

単に「箱」と呼ばれていたんです。

「目安箱」というのは明治政府が使った呼び方だったのです。

 

自分の意見が将軍様の目に触れるチャ~ンス!

目安箱には、幕臣以外なら誰でも不満や意見を投書することができました。

設置されたのは、江戸城辰ノ口評定所前は現在の東京駅の北口付近にあたります。

目安箱の売りは、将軍自ら鍵を開けて投書の中身を検分したということ。一般庶民の意見をマツケンに直接伝えることができたのです。

まさに庶民と将軍との間を結ぶホットラインでした。

自分の意見が直接将軍様の目に触れる――そんな千載一遇のチャンスに心が躍りますよね。

しかし、いつの時代も真偽の疑わしい、確かめるのが困難な訴えが少なくなかったようです。

将軍の側近によってまとめられた「訴状留」によると、訴えのほとんどが役人による不正疑い、つまり「チクリ」でした。

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そのためこの目安箱、細かいルールがありました。

投書内容は以下の二つのどちらかだけ。

1)政治に役立つ意見
2)役人の悪事・不正に関する通報

単なる不満や人の悪口などはNGです。

また、自分に直接関係のないことを人に頼まれて訴えるというのも認められませんでした。

 

実際、政治に反映された意見もあった

そして箱が設置されるのは毎月3日。決められた日のしかも午前中のみと決められておりました。

さらに投書には住所、氏名を明記しなければなりません。

こういったルールを守れない投書は?

焼却処分されます。

つまり本気で訴えたい内容ならば、決められた日に割と早めに起き、自分の名をオープンにして投書しに行くという覚悟がなければいけなかったのです。面倒だな~。

と、これだけ細かい制約があっても毎回かなりの数の投書が集まりました。

結果、動いた政治は結構ありました。たとえば……。
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