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徳川15代 全将軍の正室(御台所)ってどんな人?家康から慶喜まで【完全版】

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徳川15代全将軍の正室(御台所)
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【十一代】家斉の場合

近衛寔子(ただこ)こと、薩摩藩八代当主である島津重豪の娘・茂姫が御台所です。

結婚から15年ほどして、敦之助という男子を授かりました。御台所の出産自体も珍しい上、男子となると家光を産んだのは、お江与の方以来の快挙です。

しかし、既に世継ぎが決まっていたために、敦之助は清水徳川家の養子に入り、さらに幼くして亡くなってしまっています。

その後も一度懐妊したことがありますが、このときは流産という残念な結果になりました。

徳川家斉は、一説には側室40人以上、子供55人という、凄まじい展開になっておりますが、ほとんどを茂姫の養子という扱いにしておりました。

こうすることで茂姫の地位を保てますし、他の家へ養子や嫁入りさせるときにも箔が付きます。

ついでにいえば、茂姫の地位が絶対的になることで、御台所vs側室という無用な争いを避けることができました。

家斉がどこまで意識していたのかはわかりませんが、少なくとも茂姫への愛情があったからこそ、過剰なほどに養子扱いにしたのでしょう。

通常であれば、次期将軍になるであろう男子だけを御台所の養子にすれば済む話ですから。

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【十二代】家慶の場合

有栖川宮織仁親王の六女・喬子女王(たかこじょおう)が御台所です。

8歳で江戸にやってきて、15歳のとき正式に結婚。それから6年間で一男二女に恵まれましたが、三人とも夭折しています。

家斉が50年間も将軍職にあったので、徳川家慶が将軍になったのも遅く、喬子女王が御台所と呼ばれたのはほんの数年でした。

将軍家の妻としては愛されたほうでしょう。

吉宗以前の御台所が皆不憫すぎて、そう思えるというのもありますが。

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【十三代】家定の場合

幕末モノの大河ドラマでよく触れられていますように徳川家定には三人の正室がいました。

将軍になる前に二人、将軍になってから一人です。

最初は鷹司任子(あつこ)を正室に迎えたものの、若くして痘瘡により亡くなっています。次は一条秀子を迎え、結婚から半年で亡くなってしまいました。

そこで「公家の姫は体が弱いから、武家の姫が良い」ということで白羽の矢が立ったのが、既に将軍家に正室を送ったことのある島津家です。

そしてちょうど年頃の合う姫ということで、島津家の分家から本家島津斉彬の養女となった篤姫が選ばれました。

家定の死去により、結婚生活は2年にも満たない短きものながら、その後の篤姫の行動から察する、彼女が御台所としてのプライドを強く持っていたことはわかります。

それが家定への愛情からくるものなのか。島津家で受けた教育によるものなのか。

本人のみぞ知るところです。

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【十四代】家茂の場合

これまた有名な、和宮親子内親王が御台所です。

ときの情勢による完全な政略結婚でしたが、同い年だったこと、徳川家茂和宮を重んじ、たびたび贈り物をするなど努力したことで、仲の良い夫婦になったといわれていますね。

残念ながら、やはり家茂が病弱だったために早く亡くなってしまい、夫婦だったのは4年程度と短いものでした。

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【十五代】慶喜の場合

一条美賀子が正室なのですが、御台所と呼ぶべきかどうかはビミョーなところです。

というのも、徳川慶喜も美賀子も、一度も大奥に入っていないのです。

慶喜が将軍になる前に娘を産んだことがありましたが、その後は幕末のドタバタのせいで同居すらできず仕舞い。再び一緒に住めるようになったのは明治二年(1869年)のことでした。

ただし、その後も慶喜は側室から生まれた子供も美賀子所生扱いにしているので、正室を一定以上敬う気持ちはあったと思われます。

美賀子自身が妊娠することはありませんでしたが、彼女は公家の姫の例に漏れず、体が弱いほうでした。もともと子供ができにくかったような気もします。

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大雑把に分けると、

・七代以前の御台所は不遇をかこった者が多く

・八代以降は比較的敬意を払われていた

という感じでしょうか。

戦国期以前の女性についてほとんど記録がなかったことと比べると、さすが江戸時代は比較的平穏だっただけに各女性の個性も見えてきますね。

個々について掘り下げたい場合は関連書籍などもございますので併せてご覧いただければ。

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長月 七紀・記

【参考】
『面白いほどわかる大奥のすべて―江戸城の女性たちは、どのような人生を送っていたのか』(→amazon
『大奥学事始め―女のネットワークと力』(→amazon

 

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