間宮林蔵/wikipediaより引用

江戸

江戸期のラッキーボーイ・間宮林蔵! 樺太を探検&幕府のスパイも務める

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後年「ホームレスの変装は大変だったなあ。だって財布隠すところがないんだもん」(意訳)と述懐していたらしく、なんだか楽しんでやっていた節を感じさせます。

この働きは地元の殿様・徳川斉昭にも知られていたようで、ちょくちょく出入りしていたそうです。

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プチャーチンと交渉に当たった川路聖謨や、水戸学の大家・藤田東湖とも知己だったそうで、元農民としてはこれだけでスゴイ話です。

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水戸学は、黄門様が編纂させた”大日本史”から始まる「日本独自の歴史を大事にしようね!」という学問であり、藤田東湖は幕末の若者たちに大きな影響を与えておりますしね。

西郷隆盛なんかもその一人です。

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林蔵は身分こそ高くないものの、ツキがツキを呼んだとでもいえましょうか。性格も良かったのかもしれませんね。

 

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さすがに忍者説は流れておりませんが

ただし寄る年波には運も味方しなかったようで。晩年は隠密としての仕事はできないほど体が弱っていたようです。

そりゃあ樺太やら島根やら明らかに気候の違うところに移動しまくってたら、体にキますよねえ。

恨みを買って襲われた――なんて目には遭っていないので、職業の割にはかなり穏やかな最期だったのではないでしょうか。

享年70。
当時としてはかなり長生きです。

林蔵の子孫に当たる方は今でも続いており、その方々が保存してきた遺品などが茨城県つくばみらい市の間宮林蔵記念館で展示されているそうですよ。

”隠密”にしてはいろいろわかっているというのも不思議なものですが、案外名の知れた人物がこうした仕事を兼ねていたというのは珍しくないのかもしれません。

さすがに松尾芭蕉=忍者説はあり得ないとは思いますが。

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【参考】
国史大辞典
間宮林蔵/wikipedia

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