こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【和時計】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
「この時計めっちゃ構造簡単www すぐ作れるしwww」
イサーク・ティチングという江戸時代中期のオランダ商館長が「和時計ってすげえ! おみやげに買いたい!」と思ったこともあったそうです。
ただ、あまりに高価なため諦めたといいますから、相当な価格だったのでしょう。
当時の和時計がどんだけハイテクだったかというと、自動的に朝晩の時報を鳴らす仕組みのものもあったようで、祖先ながら恐ろしいですね。
しかし、明治時代に太陽暦や定時法が導入されたとき、不定時法と和時計はその役割を終えました。
同時にアメリカから定時法の時計もたくさん入ってきたのですが、その際和時計を造っていた職人たちは
『なんだよこの時計、めっちゃ構造簡単www こんなんすぐ作れるしwwwwww』(※イメージです)
と思ったとか。
そのおかげなのか、明治三十五年(1902年)には国内需要どころかアジア市場に輸出できるほどの時計を生産できていたといいます。
凄いな……。
まぁ、何というか、今も昔も日本人って得意なことが変わらない気がしますね。
和時計の現物は上野の国立科学博物館や、谷中の大名時計博物館で見ることができます。
お近くにお出かけの際は眺めてみてはいかがでしょうか。
あわせて読みたい関連記事
-
-
戦国時代を変えた鉄砲伝来! 種子島に漂着した中国船のポルトガル人が始まり
続きを見る
-
-
【戦国宣教師伝】あのザビエルは再来日を目指していた? 知られざる生涯
続きを見る
-
-
大内義隆(西国一の戦国大名)はなぜ陶晴賢に滅ぼされた?45年の生涯まとめ
続きを見る
長月 七紀・記
【参考】
日本大百科全書
時の記念日/wikipedia
和時計/wikipedia
機巧図彙/wikipediaより引用