田沼意次/wikipediaより引用

江戸時代

田沼意次はワイロ政治家というより優秀な経済人!? 現代評価の見直し進む

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600石から57,000石の大名に! さらには老中に就任

その辺りの功績も評価されたものか。

安永元年(1772年)には、相良藩5万7000石の大名に取り立てられ、さらに老中を兼任することになりました。

元は600石の旗本であること。

側用人から老中になった初めての例であること。

どちらも稀に見る昇進ぶりです。意次にしてみれば、おそらく相良での成功を幕政に活かそうとしたのでしょう。

悪化し続ける幕府の財布事情を改善するため、田沼意次は商業を重視した政策を採り始めました。

内容は大きく分けて

①「新たな徴税対象の創出」

②「土地開発による第一次産業の奨励」

の2本です。

「農民だけに増税すると一揆が起きやすくなるのならば、別のところから税を取ろう」という、実に合理的な考えでした。

前者①の例は、株仲間の結成・銅座などの専売制の実施により、商人に特権を与える代わりに税金を取ることなどです。

後者②は各地の鉱山・蝦夷地などの開発計画や印旛沼の干拓を行い、田畑や坑道を増やして生産量を増やそう、というものでした。

他には、俵物()などの専売による外国との貿易の拡大なども考えていたようです。

当時の交易相手は清とオランダでしたが、意次はロシアとの交易も計画していたとか。実に壮大です。

俵物……いりなまこ・干しアワビ・フカヒレなどの海産物乾物のことで、中国料理の高級食材が多い。俵に詰めて清へ輸出されていたので同名で呼ばれた

 

経済環境がよくなる一方、世間でカネが重視されるようになり……

こうして幕府の収入源が増えたため、財政は良くなり始めます。

お上の資金繰りが良くなれば下々の金回りも良くなり、町人文化の発展にも繋がります。

やった、これで経済万々歳!

「田沼ミクス」最高じゃん!

とはなりませんでした。

幕府が税金を重視し始めたことに対し、庶民や役人の一部は「何だ、家柄やコネがなくても金でなんとかできるんじゃん」と思い始めたのです。

現代でしたら、それで万事OK、社会としては健全化が進んでるじゃんとなるかもしれません。

が、当時は「金は汚いもの」という価値観も強かったために、えらい変わりようです。

貨幣経済の重視が、贈賄・収賄の横行へと繋がり、こうした意次の時代を従来の歴史授業などでは「賄賂第一の悪い時代だった!」と評することが多かったのでした。

しかし、です。

当時の老中首座・松平武元なども意次の政策には協力しておりました。

要は、意次一人が各所に賄賂を贈るように強いた極悪人だったわけでもありませんし、景気が悪化し続けるよりはいいですよね。そもそも、賄賂は受け取るほうだけでなく贈るほうも悪いですし。

意次の不幸は、こうして評判が悪化する中で、

・明和の大火
・浅間山噴火
天明の大飢饉

というキツい災害が続いたことでした。

天明の大飢饉は浅間山の噴火とヨーロッパ火山のダブル噴火が原因だった!?

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同時に印旛沼の干拓工事も失敗してしまい、にっちもさっちも行かなくなってしまいます。
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