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【生類憐れみの令】
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「悪政」の本質
「生類憐れみの令」は、多くの人々を苦しめた悪法とされています。
動物を殺傷した者は、問答無用で殺されたような印象があります。
しかし、やむを得ない状況で殺傷してしまったとき、現実には無罪放免となる場合の方が多かったのです。
まったくもって悪法ではありません。
往来で寝転ぶ犬を、大八車で轢いてしまう事故はよくありました。
止まろうとしても、重たい荷を運ぶ大八車は、急には止まれません。こうした場合は当然ながら無罪です。
当時の記録を見ると魚釣り程度は処罰されていませんし、誇張されるほど無茶苦茶な運用はされていなかったと思われるのです。
来日したドイツ人医師ケンペルは、著書『日本誌』の中で、むしろ綱吉を名君であると評価しています。
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「生類憐れみの令」が厳格に運用されていたのは、身分を問わないという点においてであり、事情についてはむしろ考慮されていました。
以下のように、至って真っ当な状況です。
・やむを得ない状況で犬を轢いてしまった町人は、無罪
・故意に動物を殺傷した武士は、有罪
しかも公正な運用がなされており、そのことこそが武士に憎悪と嫌悪を抱かせる流れに至ってしまいます。
犯罪を見逃されるという、特権を剥奪されたことになるからです。
生類憐れみの令は、武士にもその他の人々にも負担がかかるものでしたが、武士の方がより不利益が大きい。
彼らのプライドやアイデンティティを傷つけ、特権を奪うのです。
ゆえに武士たちはこの法令を誇張して、いかに悪辣で人を苦しめるものか、書き残しました。
各国とは真逆の方針に
一方で、ケンペルのような外国人は、この法令を客観的に評価し、肯定しているのです。
生類憐れみの令を考える時は、武士のバイアスを差し引いて考える必要があるでしょう。
綱吉の生きた時代は、世界各地で残酷なブラッド・スポーツが行われていました。
動物を残虐にいじめ、その様子を見て観客は喜んでいたのです。
そんな時代に動物虐待の愚かさを指摘し、改めようとした為政者は、ケンペルの言う通り先進的と言えるのではないでしょうか。
また「生類憐れみの令」は動物福祉ばかり注目されますが、前述の通り人間への残虐な仕打ちも取り締まるものでした。
こうした部分は廃止されることはなく、幕府の基本方針として継続されました。
これは重要な点でしょう。
「生類憐れみの令」以前とそのあとでは、日本人の命に対する考え方・態度は実際に変わっているのです。
そのことを考えると単なる悪政とは決して言えないのではないでしょうか。
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文:小檜山青
【参考文献】
『犬将軍』ベアトリス・M. ボダルト=ベイリー(→amazon)
『国史大辞典』