江戸

浮気の復讐に暗殺と刃傷沙汰! 水野元知の奥さんヤバい(旦那も悪い)

延宝八年(1680年)の9月8日、水野元知(もととも)という「元」大名の一人が38歳の若さで亡くなりました。

なぜ「元」かというと、その13年ほど前の事件で改易になっていたからです。

将軍でいうと四代・徳川家綱の頃ですね。

何がどうして事件になったかというと、発端は奥さんとの夫婦関係。

二人とも徳川家康のお母さん・於大の方の兄弟を先祖に持つ家柄ながら、奥さんは於大の方のお兄さんの子孫だったため、旦那さんより格上だったのです。

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奥さんのほうが身分が高いと、何かと問題が起きやすくなるのはもはやテンプレ。

うまくいったのは和宮徳川家茂ぐらいのものでしょう。

 

高貴な奥様と浮気性の夫 テンプレ通りです

この奥さん、実名が伝わっていないながら、非常にプライドの高い方でした。

身分が高いのだから当たり前といえば当たり前でもあるのですが、それを鼻にかけて元知に辛く当たっていたようなのです。

元知も「オレが当主なんだから従ってもらうぞ!」というタイプではなかったらしく、縮こまっていたような節があります。

当時は、既に参勤交代が確立された時代で、大名の正室や子供は江戸に定住するようになっていました。

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ですから顔を会わせるとしても1年おきなのですが、それでも奥さんがイヤだったと見えて、ついに世の奥様方が一番怒ることをやってしまいます。

領地の上野国安中藩(群馬県安中市)の安中城で浮気をしてしまうのです。

大名ですから側室や愛人の一人や二人いてもおかしくはないのですが、この時代、正室の許可を得ずに手を出してはいけないことになっていました。

それを元知は、奥さん怖さに許可をもらわずコッソリ実行してしまったのです。

加えてその浮気相手・八重(※大河の主人公とは関係ありません)は奥女中という低い身分でした。

これでは奥さんにバレたときの怒りようが想像できそうなものですが、元知はよほど切羽詰まっていたのでしょう。

そして奥さんは「ワタクシという立派な身分の正室がいながら、卑しい下女に手をつけるだなんてとんでもない!」と大激怒。

バレたせいで余計江戸に戻りたくない元知は、さらにここで火に油どころか爆弾を放り込むような真似をしてしまいます。

 

逃げまくる夫、刺客を放つ妻

大名の江戸屋敷は用途に合わせて上屋敷・下屋敷と分かれていました。

上屋敷は江戸での本宅で、正室や子供が住むところ。

大名同士の交流なども上屋敷でやっていました。

下屋敷は領国との往復中の休憩所や、火事が起きたときの避難所として使われる屋敷です。

元知も本来なら江戸にいる間は上屋敷で過ごさなくてはならないのですが、奥さんに会いたくないばかりにわざわざ下屋敷に留まってしまうのです。

これを知った奥さん、「早くこっちに来なさい! 正室であるワタクシにこれ以上恥をかかせるつもりですか!!」と催促する一方、元知は怯えきってしまってとてもそんなことはできませんでした。

それでも仕事はしなくてはいけません。

板ばさみですっかり気落ちしてしまった元知は、「調子が悪いのでお休みをください」と幕府に届け出て、一度安中へ戻ることにしました。

参勤交代ができたあとも、藩主の不調や領地の天災のときは免除してもらうことができたのです。元知はそれを利用したのでした。

これで奥さんの堪忍袋は緒が切れるどころかはちきれてしまいます。

「ワタクシに会わないまま国へ帰るですって? もう我慢できない! 何もかもあの女のせいよ!!」

とうとう奥さんは浮気相手を殺してしまおうと計画します。

しかし、自分は江戸どころか上屋敷からも出られませんから、誰かに殺ってもらわなければなりません。

彼女は安中藩出入りの医師と懇意にしていたので、彼を使って事を成すべく一計を案じます。【白子屋お熊事件】でもそうでしたが、江戸時代の医師ってロクな仕事させられてないのでは……?

ともかく彼女は医師に「八重へ折檻せよ!」と命じ、元知の布団へ針を仕掛け「八重が藩主を殺そうとしている!!」と騒ぎ立てます。

そして満足な取調べもさせないまま、八重を生きたまま箱詰めのうえ川に流して殺させてしまうのでした。怖すぎる……。
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