江戸

「私は医者だ!」と名乗れば医者になれた? 江戸~明治時代の医療事情

小学生の時は、暴れん坊将軍と結婚する話を想像しながら寝るのが日課だった私。

今回は江戸時代に飛び、仁先生よろしく『江戸にタイムスリップしたらどうする?』を書こうと考えました。

しかし、色々思いを巡らせておりますと、糖尿病内科は江戸であまり役にたちそうにないとの結論に至り……いや、そもそも江戸時代ってどうやったらお医者さんになれたんでしょうかね?

ピキーン!

そんなわけで今回は、江戸時代の医療事情を鑑みながら、明治時代にかけての『医者になるには?』をテーマにお送りいたします。

 

「俺が医者だ!」と名乗れば医者

日本に大陸から医学が入ってきたのは5世紀のことです。

701年の大宝律令にも医者についての法律が定められていますが医者になるための試験が初めて行われたのは明治8年のこと。それまではどうやったら医者になれたのでしょうか?

答えは簡単。

「俺が医者だ!」と名乗れば医者でした。

無経験でも無試験でも医者になれたわけですね。

 

稀に腕の良い町医者が藩医になることもあった

とまぁ、いきなりざっくばらんなお話を始めてしまいましたが、江戸時代の医者は大きく2つに分けることができます。

朝廷や幕末、大名に仕える医者と、市井で開業した町医者です。

幕府に仕えた『奥医師』や、藩所属の『藩医』は基本的に世襲でした。

ただし、奥医師になるには学校(幕府が作った医学館)と試験があり、稀に腕の良い町医者が奥医師や藩医になることも。

藩医は、武士の格をもつ世襲の医者(士席医師)と、下級武士または民間出身の医者(軽輩医師)に分かれていることが多かったそうです。

そして士席医師の中で優れたものが藩主の主治医となりました。

歴史に名を残した藩医も多く、解体新書で有名な杉田玄白は【若狭国小浜藩】、前野良沢は【豊後国中津藩】の所属です。麻酔で有名な華岡青洲は紀州藩の藩医ですね。

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