江戸時代

藩主のカレシに横恋慕して殺害【鍵屋の辻の決闘】がなぜ日本三大仇討の一つに?

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鍵屋の辻の決闘
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江戸へ逃げ旗本に匿ってもらうも、アッサリ発見

戦国時代なら、これでごまかしようもあったかもしれません。

しかし、ときは江戸時代

外様大名の統治能力が疑われれば、あっという間に改易になってしまうような頃です。

又五郎は、自分の命やら藩主の運命やら、いろいろと予測してさぞかし肝が冷えたことでしょう。

その恐怖に耐えかね、又五郎は脱藩して江戸へ向かいます。

参勤交代で藩主も来るというのに、なぜ江戸を選んだのかサッパリわかりません。

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旗本の安藤正珍(まさよし)に匿って貰うためだったようですが、それにしたって助けてくれるかどうかアヤシイ相手のところへよく行きますよね。

そして主君の池田忠雄には、すぐにバレました。

激怒した忠雄は、幕府へ又五郎の引き渡しを要求します。

しかし、正珍にしても「一度かくまった相手を簡単に引き渡せるか!」(※イメージです)といって聞きません。

態度は立派ですが、横恋慕の末逆ギレして人を殺した人ですよ、そいつ。

話を持ってこられた幕閣のほうも困ったでしょうねぇ。

この時代だと「知恵伊豆」こと松平信綱土井利勝がいましたから、多少は耳に入っていたかもしれません。

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酒井忠勝あたりは人の心の機微に敏感な感じですので、双方に同情していたり?

いずれにせよ彼ら堅物メンバーが額を集めて、寵愛スキャンダルを解決しようとしていたの?なんて考えると笑いがこみあげ……もとい、幕閣の苦労がしのばれますよね。

 

藩主・忠雄は天然痘で死亡 遺言は「又五郎を討て」

何はともあれ、幕府の創成期を支えた彼らからすれば

「痴情のもつれなんぞでこっちに迷惑かけないでくれよ(´・ω・`)」

と思ったであろうことは想像に難くありません。

今で言えば、子会社の社長&秘書と本社のヒラ社員の三角関係で揉めたような感じですし。

そんなこんなですぐには解決せず、二年がたちました。

ここで大事件が起きます。

当時まだ30歳だった忠雄が、天然痘にかかり、呆気なく亡くなってしまったのです。

彼は今際の際に「又五郎を討て」と言い残します。

そりゃ若くして死ぬだけでも腹立たしいのに、晩年に横恋慕されたせいで時間を無駄にしたなんて、死んでも死にきれないですよね。

この頃になると、幕府もいい加減この一件にケリを付ける方法を見出しました。

武士のならいである「喧嘩両成敗」になるよう、又五郎の江戸追放&正珍と協力した旗本たちの謹慎を決めたのです。

場合によっては、ここで池田家が引き下がることもできたでしょう。

しかし、そうは問屋が卸しませんでした。

忠雄の遺言を聞きつけたのか。

太夫の兄・数馬が敵討ちのために脱藩したのです。

この人が池田家でどんな立場だったのかははっきりしないのですが、剣の腕前に不安があるから、と姉婿の剣術師範・荒木又右衛門に助太刀まで頼んでいますので、結構、頭のいい人だったんじゃないでしょうか。

頭のキレる人が復讐に乗り出すとガチで怖いですね。

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