光格天皇/wikipediaより引用

江戸時代

知られざる名帝・光格天皇~幕府に引かないスタンスが明治維新へ繋がる?

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女帝の配ったリンゴが歴史を動かした

後桜町上皇は、まず手元にあったリンゴ3万個を民衆に配るよう命じ、他の貴族達もそれに倣って握り飯やお茶を配り始めたそうです。

人が集まれば商人も集まり、どこからか菓子や酒を売る露天商もやってきたとか。

商魂たくましいというかなんというか……。

これを見た光格天皇は幼いながらに知恵を絞り、勇気を出して幕府に直接「民を助けてください」と要請します。

が、皇室や貴族が民衆に何かをすること、そして幕府に指示を出すことは

禁中並公家諸法度

という法律に違反する行動でした。

禁中並公家諸法度17条をわかりやすく! 公家衆法度も一緒に確認だ

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もしお咎めを受ければ、光格天皇も後桜町上皇も、周辺の貴族もただでは済みません。

しかしこのときは幕府のほうが後ろ暗かったからか、「いやあすっかり対応が遅れてしまって申し訳ございませんすぐに米をお送り致しますんでハハハハハハ」とスルーしてくれました。

 

幕末維新の流れへ繋がっていく

幕府としては例外はこれ一回きりのつもりだったのでしょう。

現実は「朝廷が幕府を動かした」という事実は語り継がれていくことになります。

そして約100年後、維新の柱の一つ・尊王論となって倒幕の流れができていくのでした。

この一連の事件を「御所千度参り」というのですが、光格天皇はこれを忘れず、自分の立場でできることは何かということを主軸に行動していくようになります。

例えば、ずっと途絶えていた祭や儀式を復活させたり、当時こじれていたロシア帝国との交渉について報告を求めたり。

積極的に政治へ関わっていきます

そしてその姿勢は、次代以降の天皇にも引き継がれ、これまた明治維新に繋がっていくことになります。

維新間際というと孝明天皇を連想しますが、その源流はもっと昔にあったんですね。

もし幕府が朝廷からせっつかれる前に米の供出をしていたら、尊王派の力はもっと弱かったのかも?

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
光格天皇/wikipedia

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