大塩平八郎の乱

大塩平八郎/wikipediaより引用

江戸時代

大塩平八郎の乱は半日程度であっさり鎮圧! 生真面目すぎて失敗した?

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「地元が困ってるやろ」「決まりなんでぇ」「プチッ!」

彼は現役時代からクソ真面目な役人として知られておりました。

引退後は自力で陽明学を学び、私塾を開くなど、徹頭徹尾お堅い人物であります。

陽明学とはものすごく簡単に言うと「人間は元々良い性質を持っているんだから、勉強してもっと良い人になろうね!」という考え方です。

朱子学の「王様や世間のルールは絶対!身分制度バンザイ!」という主義に真っ向から反論するもので、当然、幕府にとっては面白くないものでした。

どちらも大元は儒学なんですが、これだけ解釈の違いが出るのも面白いですね。

平八郎が朱子学よりも陽明学を選んだのは、もしかしたら「仕事はちゃんとやるけど幕府は気に入らん」という理由だったのかもしれません。

引退後ならなおさらのことです。

さすがにいきなり突撃するワケではなく、平八郎は現役時代のツテを辿り

「地元が困ってんのに江戸を優先すんのはおかしな話とちゃうか」

と意見を申し述べました。

それに対して返ってきたのは「江戸に送ることになってるんで」というテンプレ通りの返答。

ついに彼とその門下の人々はブチキレます。

もともと朱子学嫌いが集まっていたところですから、お役所主義に対抗したくなるのもごく自然な話ですね。

 

嫁と離縁して決起じゃあ!

平八郎は、まず自らの蔵書を売り払って資金を作り、貧しい人々の救済を始めました。

が、とても追いつきません。

やむなく武装蜂起も辞さぬ――という方針に変えていきます。

決起の前には家族が罪をかぶることのないよう離縁、家財を売却することによって武器防具の類を調えたそうです。

まさに決死の覚悟ですね。

しかし、この緊迫した状況に耐えられなかったのか、それとも最初からスパイが入り込んでいたのか。

この決起は実行直前に当局へバレてしまいます。

平八郎たちは当初の計画を変更せざるを得なくなり、実際のドンパチは半日程度で鎮圧され、40日ほど逃げ回ったあと自決に至りました。

養子と共に火薬を使っての爆死を選んだ平八郎は、死後、顔の判別もつかないほどだったそうです。

爆死というと戦国時代の松永久秀が有名ですが(実際はやってない)、大塩平八郎親子も同じ死に方をしていたとは意外ですね。性格と経緯は全然違いますが。

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生真面目を通り越して厳格過ぎたのかも

内通者についてはハッキリしたことがわかっていません。

もしかすると平八郎の性格についていけないと思った人が耐えかねて寝返ったのかもしれません。

というのも、平八郎の性格が生真面目どころではなく厳格すぎたという話がいくつも伝わっているのです。

・学者仲間の頼山陽からは「君は短気すぎるから刀を持ち歩くのは止めたほうがいい」(意訳)と忠告された

・朝の五時から講義を始めていた

・しかも講義のときは門下生が目を合わせられないほど怖かった

等々、普通の人なら一つだけでも逃げ出したくなるような特徴をいくつか兼ね備えていたというのですから、途中でイヤになった人がいても不思議ではありません。

事を成すためには、お金や家族だけでなく人心掌握も大切だということですね。

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【参考】
国史大辞典
大塩平八郎/wikipedia

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