明治十年(1877年)6月26日は、日本初の国産ビールが明治天皇に献上された日です。
開拓使麦酒醸造所、現・サッポロビールが製造したものです。
あれ?
なんか遅くない?
6000年とも言われるビールそのものの歴史を考えると、明治になって国産ビールというのはいささか遅い気がしませんか?
-
-
6000年もの歴史あり!ビールは最初「液体のパン」と呼ばれていた
続きを見る
しかし、江戸時代の鎖国を考えるとそんなもんかな?とも思ったり。
本稿では日本ビールの歴史を追ってみましょう。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
オランダ商館長「出島でも作れないかな」
日本に初めてビールがやってきたのは、大坂冬の陣の前年、慶長十八年(1613年)だとされています。
長崎に出入りしていた商人の誰かが持ってきたとか。
その後もオランダ商人が運んできたようで、享保九年(1724年)には八代将軍・徳川吉宗にも献上されたといいます。
-
-
徳川吉宗が将軍になるまでのミステリー 7名の重要人物が次々に死亡って!?
続きを見る
吉宗の感想は伝わっていないので、まさか飲まずに捨ててしまったとか……?
当時の日本人からすれば「何だこの苦い麦汁は! あっ、酒だぁ? 信じられるか!」という印象だったかもしれません。
出島のオランダ人は、本国から持ってきては飲んでいたと思われますが、何を思ったのか1812年に「ここ(出島)でもビール造れないかな?」と試した人がいました。
-
-
賃料毎年1億円! 長崎・出島の意外な歴史~オランダ人は年4ヶ月だけ滞在
続きを見る
オランダ商館長ヘンドリック・ドゥーフです。
一応成功したらしいのですが、日本側の記録が乏しいことからすると、やはり受け入れられなかったのでしょうかね。
おそらく通詞(通訳)や出島に出入りしていた遊女の中に、口にした人もいたと思うのですが。

日本で描かれたドゥーフ(司馬江漢作)・なんとも特徴的な絵ですよねぇ/Wikipediaより引用
札幌に作られた開拓使麦酒醸造所
時は流れて、維新から間もない明治二年(1869年)。
横浜の外国人居留地で、外国人によるビール会社が作られました。
製造も無事うまくいったようで、居留地の外国人や日本のお偉いさん相手に販売を開始します。
そのうち輸出できるほどの量になったそうですから、だいぶ経営がうまい人が携わってたんでしょう。
明治一ケタの間には、日本人によるビール醸造会社も現れ始めました。文明開化に伴って、ようやく国内でも受け入れられていったようです。
そして1876年、札幌に「開拓使麦酒醸造所」が作られます。
現在のサッポロビールの前身にあたる会社ですね。
わざわざ北海道に作られたのは、ビールの原料の一つである「ホップ」が、北海道に自生していたからだそうで。
ここで作られたビールが、一般発売に先駆けて、翌年、明治天皇に献上されたというわけですね。
-
-
明治天皇の功績&エピソードまとめ! 現代皇室の礎を築いたお人柄とは
続きを見る
その後、開拓使麦酒醸造所は民間に払い下げられて一般企業となり、ヱビスビールなどを売り出して軌道に乗っていきます。
後に続いて、大阪麦酒株式会社(アサヒビールの前身)なども開業し、国内には大小様々な醸造所ができていきました。
軍では結構早くからビールが受け入れられたらしく、乃木希典が愛飲していたといわれています。部下たちと一緒にわんこそばならぬ「わんこビール」もやっていたとか。
-
-
乃木希典(元陸軍大将)妻とともに明治天皇に殉じた軍人の生き様とは
続きを見る
しかし20世紀に入り、軍備増強の一環としてさまざまな増税が行われると、酒造業界にも改革の嵐が吹き荒れます。
日本酒にしか課せられていなかった酒税がビールにもかかるようになり、最低製造ラインが設けられたのです。
これにて条件を満たせない小さな醸造所は倒産、もしくは大手に吸収。
今日のようにキリン・アサヒ・サッポロ・サントリー・オリオンの大手五社に絞られていくこととなりました。
※続きは【次のページへ】をclick!