絵・くらたにゆきこ

縄文・弥生・古墳時代

君は「蛇行剣」を知ってるか? 古代日本のエクスカリバーは古墳と共に出土

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「剣」にまつわる伝説は世界各国に残っています。

エクスカリバー、デュランダル、草薙剣……いずれも象徴的な神器として剣が位置付けられてきたことの証左ともいえるでしょう。

しかし、伝説にも神話にも記されない謎の剣が古代日本にはあったのです。

その名は「蛇行剣(だこうけん)」。

読んで字のごとく蛇のように曲がりくねった剣身をもつ古墳時代の刀剣類の一種です。
この蛇行剣、出土事例は全国でも70例弱と非常に希少なものであり、その特殊性から考古学者たちの頭を悩ませてきました。

一体これは何なのか?
古代日本の剣物語をちょっと覗いてみてみましょう。

 

「副葬品」としての剣であること

これまでに見つかった蛇行剣はいずれも5世紀~6世紀を中心としたお墓の副葬品。
「古墳」を中心に副葬されていることが分かっています(南九州の一部などは「横穴墓」などの独自の埋葬施設)。

曲がりくねった姿からやはり「蛇」をかたどったものであるという解釈が一般的であり、古代から蛇は「再生」のシンボルとして崇拝されてきたものでもあります。

しかし、実体はよく分かっていません。

出土遺跡は韓国にも及んでいること

蛇行剣の出土事例は先述の通り、その他の鉄製品に比べて極めて希少なものです。

これをともなう遺跡は関東地方から南九州まで広く点在し、一例のみ韓国の任実郡からも出土。
古代の日韓交流と密接に関係していることがうかがえます。

「ヤマト」を中心に各地方に波及していること

出現期の蛇行剣出土事例は、奈良県の宇陀地方のものとなっています。

宇陀といえば『古事記』などで初代天皇、イワレヒコがやってきた場所であり、神話ゆかりの土地。
ここから徐々に時代差をともないつつ全国各地に波及しているため、ヤマト王権が傘下に収めた地方勢力の首長層に対して下賜した特殊刀剣であるという解釈も生まれています。

南九州に極端な集中がみられること

極めて少ないとされる蛇行剣ですが、不自然なほど大量に出土する地方があります。

宮崎県や鹿児島県といった南九州地方です。

特に宮崎県えびの市では、全国出土例の実に1/3以上が集中。
南九州在来の「隼人(はやと)」と呼ばれた人々とヤマトとの関係を指摘する研究者も多くいます。

神話上、天皇家の始祖は南九州からヤマトに移ったとされており、深い関連がある一方、東北の「蝦夷(えみし)」同様に最後までヤマトの支配に対して頑強に抵抗したのもまた隼人の一部であったからです。

日本古代史の謎に迫る難しい問題のひとつであるといえるでしょう。

6世紀を最後に突然途絶えること

現在、蛇行剣は6世紀の例を最後として、忽然とその姿を消してしまいます。

古墳時代終末期には薄葬令などの影響で埋葬施設が小型化し、やがて古墳そのものが造営されなくなるためとも考えられますが、その後の武器形状に大きな影響を与えたとは考えにくいのが現状です。

中国やヨーロッパ、東南アジアなどには同様に蛇行した剣身をもつ武器が存在しています。

残念ながら相互の関連は不明。
日本では古代のある時期にのみ、集中して少量が制作された謎の剣であるということだけがわかっています。

帯刀コロク・記
くらたにゆきこ・絵

 



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