森永ミルクキャラメル

森永ミルクキャラメル/amazonより引用

明治・大正・昭和

森永ミルクキャラメルが明治時代に誕生!最初は一粒70円の高級品だった?

日本に西洋の文物が入ってきたタイミングは、大きく分けて二つあります。

戦国時代と明治時代。

戦後はいわずもがなですので除外として、前者・戦国時代の場合、ポルトガル由来のものがたくさんあります。

単語もほぼそのまま残っていたりして、例えば「パン」などはポルトガル語の「pao」が語源だとか。

本稿では、ポルトガル産の食べ物でも特に愛されたアノお菓子に注目。

大正二年(1913年)6月10日、森永製菓がキャラメルを【森永ミルクキャラメル】と改称しました。

【TOP画像】
森永ミルクキャラメル(→amazon

 

発売当初は「キャラメル」とだけ素っ気無く

キャラメルといえば、森永製菓創業時から現在に至るまでの看板商品です。

当初はそっけなく

【キャラメル】

とだけ書かれていたのを、この日

【森永ミルクキャラメル】

に改めたのだそうです。

その後バラ売りや缶入り・箱入りなどの変遷を経て、大正時代には現在のような山吹色の箱でほぼ固定化されたようですね。

当時の物価では高級品だったので、贈答用の缶入りなどが販売されていた時期もありました。

明治32年に販売が始まった当初は一粒0.7銭で、そのころ天丼一杯が10銭だったそうですので、仮に天丼が1,000円だとすればキャラメル一粒70円になりますね。こりゃ高い。

昭和の天才・南方熊楠が、昭和天皇に標本を献上したときもこの箱なのかな?

と思いきや、業務用の大きいバージョンだったそうです。

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なんでも「桐箱を用意したけど開きにくかったから」という理由で、熊楠自身が標本の保管に愛用しているこの箱を選んだのだそうです。

昭和天皇がその場でお手に取った・中身を見ようとしたかはわかりませんが、多分そういうことを想定して開けやすい箱にしたんでしょう。

 

創業者森永太一郎がアメリカで製法を学ぶ

もう少しキャラメルの歴史を見ておきますと……。

当初、日本に伝わったとき、あの四角いカタチではありませんでした。

ではどんなものだったかといいますと、よく似た名前の「カラメル」。プリンの下にあったり、プッチンでは乗っかったりしている液状のアレですね。

水と砂糖を煮詰めれば作れますから、長旅をしてきた宣教師達にも手軽に作ることができたのでしょう。

現在のようなキャラメルになったのは、森永製菓の創業者・森永太一郎がアメリカで製菓について学び、帰国後に考えてからだそうで。

皆さんお馴染みのキャラメルは明治時代に生まれたということになります。

アメリカのお菓子というと、とにかく凄まじい甘さで、時に食べ物とは思えないほどの色(ショッキングピンクなど)をしていることがありますが、そこまで日本に持ち込まれなくて良かった……。

 

チキンのコーラ煮もあるぐらいだし

最近は「キャラメルが料理にも使える」とのことで、こんな本も出ていますね。

◆『森永ミルクキャラメルレシピ100』(→amazon

そして、実際に試作・試食されているレビューがこちら。

◆【「森永ミルクキャラメルレシピ100」を使って豚の角煮・フレンチトーストなどの料理をいろいろ作ってみた】(GIGAZINE

本の内容も実際に食べた感じも評判は上々のようです。

チキンのコーラ煮とかオレンジジュース煮とかだけでなく、キャラメルも色々と使えるんですねぇ……。

中華でも蜂蜜を使ってチャーシュー仕込んだりしますから、大きな括りでは同じかもしれません。

角煮あたりにも良さそうで、もしも今夜のおかずにお困りのご家庭は試してみてはいかがでしょう。

塩キャラメル・生キャラメルや◯◯フラペチーノで大人にも大人気なお菓子になりましたが、料理に使えるとなるとまた新たな世界が広がりそうです。

長月 七紀・記

【参考】
森永ミルクキャラメル(→amazon
森永ミルクキャラメルの歴史年表/森永製菓
「日本人は何を食べてきたか」第8回南方熊楠/講談社現代ビジネス
森永ミルクキャラメル/wikipedia

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