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西郷どん(せごどん)特集 明治・大正・昭和時代

廃刀令――明治の庶民は嘆くどころか「まだ帯刀で消耗しているの?」

更新日:

1876年に施行された明治政府の廃刀令。
文字通り「刀を持つことを禁じた法律」であり、同法によって武士たちの不満がついに爆発し、不平士族の反乱へつながった――なんてことを歴史の授業で習うと思います。

そこで一つ考えてみたいことがあります。

当時、刀を持っていたのは本当に武士だけだったのでしょうか?

答えは否。
豊臣秀吉による【刀狩り】なんかのイメージも手伝い、江戸期の庶民は武器携帯の一切を禁じられた印象もありますが、現実はさにあらず。

帯刀はときに“ファッション”としての性質も帯びており、一定条件のもと日本中で用いられておりました。

それが明治時代になって全面禁止となるワケで。
では、庶民はどう考えていたのか?

「いいじゃん、廃刀令♪」

それが世間的なスタンスでした。

 

オシャレに欠かせない♪

「刀は、武器かファッションか?」

そんな問いかけをされたら、大抵の人は「何いってんだコイツ、武器だろwww」と一笑に付すかと思います。

しかし、かつてはそうではありませんでした。

江戸時代初期は、
「そりゃファッションでしょ。オシャレには欠かせないもんね!」
と思われておりました。

そのため武士だけではなく、町人も二刀を佩(は)いて颯爽と街を闊歩。

戦国気風を忘れないワイルドなメンズこそ【クール=傾奇者】という時代でした。

旗本奴・水野成之の懲りない最期! 誰かと思えば、祖父はリアル傾奇者・水野勝成さんでした

しかし、為政者である幕府としては、
「武士の真似してけしからん!」
「いつまでも戦国気風が強くては危険極まりない!」
というわけで、こりゃなんとかしないとイカンと思い始めます。

そこで寛文8年(1668年)、江戸町触(えどまちぶれ)でようやく武士以外の帯刀が禁じられたのでした。

 

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脇差はOK!冠婚葬祭などフォーマルな場でも

時代劇に見られるような丸腰の町人。

このお触れによって皆がそうなった?
というと、実は、そうでもありません。

・脇差は帯びてもよい
・冠婚葬祭や年始、道中はよい
・修験者、医師等は武士ではないけれども帯刀可能
・許可を得た者(郷士等)も帯刀可能

とまぁ、帯刀できるチャンスはかなり恵まれておりまして。
長脇差は禁令が出されたものの、脇差そのものに規制は加わりません。

【刀=武器】という感覚からすれば頭が混乱してくるかと思います。

脇差といっても、ナイフの比じゃない殺傷力があります。
それを冠婚葬祭や旅先だからと帯びて歩いているって、ちょっと怖いですよね。

まぁ、それだけ太平の世だったということです。

本当にギスギスした時代ならば、武器という考え方になる。
しかし、当時の人にとってはあくまでファッションの一環。

【権威あるフォーマルなファッションアイテム】であるゆえ、冠婚葬祭のようなフォーマルな場では、刀を帯びるのでした。

 

簡単に刀を抜けない時代もあった

徳川吉宗の享保期頃から、帯刀は権威としての象徴が強まって来ます。

享保5年(1720年)。
幕府は、町人や百姓でも、孝行心の強い者や正直者を表彰して、賞金だけではなく苗字帯刀を許すとしました。

もしかしたら、あなたのご実家にも伝わっていませんか?

「ご先祖様にものすごくエライ人がいて、苗字帯刀を許された」
みたいなお話。それにはこうした背景があるわけです。

つまり江戸時代の人は、刀を帯びることに憧れておりました。

もちろん刀で人を斬ってヒャッハーしたい――なんて動機ではありません。

前述の通り
「刀ってカッコイイじゃん!」
「ステータスシンボルだよ!!」
というオシャレ事情ですね。

武士ですら刀を武器として積極的に使ったわけではありません。
強盗や凶悪犯の逮捕時ですら、刀で斬り捨てていたのは江戸初期まで。時代がくだるにつれ、捕縛するようになってゆきます。

そんな時に使われていた刺股(さすまた)は、容疑者を遠くから押さえつけるだけで、殺傷力はありませんよね。
帯刀が許可された武士であっても、街中でみだりに刀を抜いてしまったら罰則を受けます。

城中で抜刀したばかりに、大騒動になってしまった事件もありました。
ご存じ『忠臣蔵』です。

史実における赤穂義士と忠臣蔵の真実 もとは伊達政宗と浅野長政の不仲が原因だった!?

実際には「切り捨て御免」どころか、刀を抜いた時点で罰則を受けてしまい大変なことになってしまうわけです。
武士が「切り捨て御免」をしている像は、あくまでフィクション。

しかし、そう悠長なことは言ってられない時代が訪れます。

 

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刀が武器に戻る――幕末の恐怖

明治時代頃に出た【江戸期の回想録】に、こんな一文が出てきます。

「あの頃は刀で斬られないかとヒヤヒヤしてねぇ」

そうです。
明治時代まで生き延びた人たちにとって、刀は殺人に使用される恐ろしいものでした。

彼らが生きた幕末期とは、ばんばん人が殺される時代。
刀の前では拳銃があっても無駄だと、来日外国人すらガクガク震えていたような時代です。

幕末の訪日外国人たちは日本をどう見てた?銃でも勝てない日本刀にガクブルの日々

『キル・ビル』や『高慢と偏見とゾンビ』のように、日本刀が無茶苦茶強くて恐ろしい――そんな感覚が西洋にまで伝播したのは、もしかしたら幕末期のおぞましい記憶が根底にあるのかもしれません。

幕末の攘夷で、人斬りの標的にされたのは、外国人だけではありません。
海外事情に詳しい学者らも、容赦なく昼間から斬り捨てられています。

そして、そんな風に物騒だったのは、何も京都だけの話ではありません。

黒船来航よりもずっと前から、つまり攘夷とは一切関係ない時代から、関東地方はリアル『北斗の拳』と化しており、自ら武装する必要もあったのです。

なぜそんな荒れてしまったのか?
というと、天災や政治事情により社会が制度疲労を起こしており、禁止されたはずの長脇差で武装した「悪党」と呼ばれる連中が関東地方を暴れ回ったのです。

新選組の天然理心流はナゼ殺人剣法に? 幕末関東が『リアル北斗の拳』だったからです




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そのため人々は、自分で身を護る必要が出てきた。
新選組のメンバーが超実践的な剣術を学んでいたのもそういった背景があり、よろしければ上記の詳細記事をご覧ください。

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