急がば回れ、急いては事を仕損じる――。
人の世は何かにつけ準備不足だとロクなことはなく、特にそれが軍事ともなれば大惨事に直結します。
明治三十五年(1902年)の1月23日に始まった、旧陸軍の八甲田雪中行軍遭難事件はまさにその一例でしょう。
「八甲田山死の彷徨」などでよく知られ、参加者210人のうち実に199人が死亡する(最終的な生存率5.2%)という最悪の遭難事故でした。
当時を振り返ってみましょう。
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青森隊と弘前隊の二部隊が参加
実はこの訓練には二つの部隊が参加していました。
元々は、当時、緊張が高まっていた対ロシア戦を想定していた訓練ですので、一部隊だけでは不十分と思われていたのでしょう。
参加したのは
・青森歩兵第5連隊(以下青森隊)
・弘前歩兵第31連隊(以下弘前隊)
であり、それぞれルートも目的も日程も別。
互いの訓練予定すら知りませんでした。
小説などでは悲惨さを強調するためなのか、この2隊が競争したかのような話にされていますが創作です。
二つの隊の命運はなぜ分かれたのか
実は、この2つの隊は真逆といっていいほどの結果を出しています。
遭難したのは青森隊だけで、弘前隊は途中の帰還者1名を除いて全員生還しているのです。
ルートが異なるとはいえ、なぜ同じ場所で訓練をしたのにもかかわらず、このような違いが出たのでしょう?
その理由は大きく分けて三つあります。
一つめは気象条件
当時は記録的な寒波と強風が日本全体に襲いかかっておりました。
世界有数の豪雪地帯である八甲田山周辺はマイナス20℃にまで冷え込んでいたと推定されています。
ちなみにマイナス20℃というと、南極にある日本の昭和基地で真冬(8月)の平均気温とほぼ同じです。
現在記録されている南極の最低気温はマイナス89℃なので、南極としてはマシなほうなんですがね。
タロとジロを始めとする樺太犬の強靭さと人間の脆弱さがわかります。
二つめは青森隊の情報収集不足
青森隊は平地出身の者が多く、八甲田山周辺の気候に詳しい者はほとんどいませんでした。
しかも、地元民が寒さや天候悪化を懸念して、引き留めたり、あるいは案内を申し出たりしたのに、それを断って訓練を強行しております。
確かにいざ実戦となれば天候悪化はむしろ好機ですから、強行したくなるのもわからなくはありません。
が、訓練で命を落としたら意味がないんですよね。
さらに情報不足・認識不足から、青森隊は厳寒地に赴くとは思えないほどの軽装で入山したといいます。
予備の靴下や軍手すら用意せず、さらには凍傷を防ぐための知識がなかったため「ちょっと温泉入ってくる」程度の認識だったそうです。
三つめは指揮系統の混乱
青森隊では訓練直前に本来の階級や職務と食い違った人間が入っていたため、兵士が「誰の言うことを聞いたらいいのかわからなくなった」という軍隊としてはあるまじきことが起きていたそうです。
途中から相談もなく指揮官が交代していたともいわれています。
これだけ悪条件が重なったら遭難は当然、生存者がゼロでもおかしくはなかったでしょう。
現実もその半歩手前といった程度ですが。
弘前隊は上記3条件をクリアしていた
弘前隊はというと、この三点において全てクリアしていました。
青森隊より人数が少なかったため統率が取りやすかったということや、雪中行軍の経験者がいたことなども有利に働き、予定よりも1日遅れる程度で完遂しています。
ただし反対する地元民を無理やり案内させた上に途中で置き去りにしたため、案内人は全員重度の凍傷を負ってほぼ再起不能になったそうです。
ひどいってレベルじゃねー!
弘前隊だって彼らがいなければどうなっていたかわからないというのに、このことについて公になったのは30年近く経ってからのことでした。
凍傷としもやけは大違い
今でも軽装で冬山に入る人が後を絶たないので、ついでに凍傷と凍死に関するお話をしておきましょう。
凍傷を単なるしもやけのひどいものと勘違いしている人がいますが、全く違います。
軽度であれば対処法もほぼ同じなのでその認識でも構いませんけれども、重度の凍傷は回復不可能なまでに細胞が死ぬため、切断せざるをえなくなります。
当然動かす事はできませんから、身動きが取れなくなり凍死に至る危険も高まります。
八甲田山遭難事件の生存者も、全員凍傷による細胞壊死で手足のいずれかもしくは両方を切断することになり、五体満足で余生を送れた人はいませんでした。
現代だったら、官民の死傷者全員の遺族から裁判を起こされているでしょう。
なお、これだけの大人数ですから遺体探しも難航を極め、最後の一人が見つかったのは5月28日でした。
北海道や東北でも十分に起き得る
凍死は、何もシベリアや北極・南極だけではありません。
現在の北海道や東北でも十分起こりうる事態です。
凍死の原因は低体温症という症状で、体温調節機能が追いつかないほどの冷気にさらされた場合に起こります。
人間の体温は通常37℃前後、これが32℃ぐらいまで下がると通常の思考や活動ができなくなり、さらに体温が下がると昏睡~死に至るのです。
たまに仮死状態になってから助かった人のニュースが流れますが、それはごくごく稀な事例であって滅多に起こることではありません。
よく調べもせずに冬山登山に行こうとしている人には「アンタ八甲田山みたいになっても知らんぞ」くらいのことは言っておいてもいいでしょう。
しかし、青森隊の死は決して無駄にはなりませんでした。
この事件を教訓として、現在の自衛隊では指揮系統の維持と装備の徹底が厳守されるようになったのです。
自衛隊に関しては、米軍との合同訓練で雪山に行った際、一人の死者・遭難者も出さずに終える事ができたとか。
そのとき雪合戦やってたそうなんですが、ホントなんですかね。
旧軍はどうだったかって?
……ワタクシめの口からは指揮官の質によるとしか言えません。
長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
八甲田山雪中行軍遭難/wikipedia