明治三十五年(1902年)1月30日、日英同盟が締結されました。
小中高で習うのに
・いつまでの同盟かハッキリしない
・次に日英の話が出てくると、いきなり日本軍がプリンス・オブ・ウェールズ(戦艦)を沈めていたりする
といった状態で、ワケわかめ……という方も多かったのではないでしょうか。
最初に申しておきますと、同盟破棄されたのは大正12年(1923年)ですので、概ね日露戦争~第一次大戦中の同盟ということになります。
大英帝国全盛期=パックス・ブリタニカのど真ん中だったイギリスが、なぜ産業革命したばかりの日本を同盟相手に選んだのか?
そこには結構ややこしい事情があります。
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東アジアを舞台に仮想敵国はロシア
当時イギリスは、東アジアへの基盤が欲しいと思っていたところでした。
少し前にアヘン戦争・アロー戦争で清をボッコボコにしてしまったせいで、現地での軍備やら何やらを全部自前でやらなければならなかったのです。
このとき中国大陸はまさに列強の縮図といった様相で、イギリスはもちろんフランスもドイツもロシアもあちこちを切り取っていました。
もちろんどこの国も中国大陸を植民地化する気満々です。
となると、清そのものはどうにかできても、中国大陸で列強のいずれかとドンパチをやる可能性が出てくるわけです。
財力や戦力は問題ない。
しかし、電話もメールもない時代に、本国との連絡に手間取るのは明白。
フランスやドイツはほぼ同じ条件ですからまあいいとしても、すぐ行き来できるロシアと戦争になれば、タイムラグで不利になる事もわかっていました。
そこでイギリスはまずドイツと同盟を結ぼうとしたのですが、ドイツは既にロシアと協調する道を選んでいたため交渉失敗に終わります。
(自分で叩きのめしたせいで)清はアテになりませんし、フランスはもっと前からロシアと同盟を結んでいました。そしてドイツもダメ……となると、残った選択肢は近場の日本……となりますね。
たぶん「一応、日清戦争には勝ったし、清よりは使えるだろ」くらいの考えだったのでしょう。
乱暴な言い方をすれば国家ぐるみの大博打なわけですが、こういう賭けに滅法強いのがさすが海賊紳士というか。後々のことを考えると、賭けに勝ったというよりは「賭けた側が勝つようにした」といったほうが正しいですかね。
「私と友人になってくれないかね」
一方その頃、日本もロシアに対抗するため同盟相手を探していました。
上記の通りもはや清が滅亡するのは時間の問題。
地球を半周してくるヨーロッパ諸国への対応は後回しにしても、超ご近所のロシアを放置するわけにはいきません。
なんせ幕末以来、南下の圧を受け続けてますからね。
しかし交渉どころかまだ西欧文化すらロクにわかっていない当時の政府に、同盟相手を悠長に選んでいる余裕はありませんでした。
そのため一時はロシアと通商条約を結んで戦争を回避する方策も考えられましたが、ロシアからすれば念願の不凍港を手に入れるチャンスですから「やーなこった」とばかりに断られてしまいます。
そこへやってきたのが海賊紳士のイギリスさん。
「私と友人になってくれないかね」と連絡してきたので、日本としては願ったり適ったりでした。
もし清が20世紀まで独立を保っていたら、イギリスも日本もお互いを選ばずに清と同盟を組んでいたのかもしれません。
歴史で「もし」を言い出すとキリがありませんけどね。
複数国と戦争になったら味方になって参戦する
近代各国の同盟や条約は、どこかしら不平等なものが多いというのが特徴でした。
そんな中、日英同盟は数少ない例外であります。
特に重要なのは
「相手が他国と戦争をしたら中立を保つ」
「複数国と戦争になったら味方になって参戦する」
という点ですね。
他の国から見ると
「日英どちらかと戦争をする場合、タイマンでなければもう一方とも戦わなくてはならない」(フルボッコにできない)
ということになります。
このため、日露戦争が始まったときフランスもドイツも介入する事ができませんでした。
どっちも共和制や帝国として落ち着いたばかりでしたので、清を(一方的に)殴るくらいはできてもイギリスとガチンコ勝負をする余力はなかったのです。
この条項、多分ヨーロッパ事情をイヤミなほど知っているイギリス側が提案したんでしょうね。
日本にとってはデメリットないですし。
海賊紳士への借りは大きいぞ
こうして狙い通り東アジアにおけるロシアの牽制に成功したイギリスは、大きなオマケをつけてくれました。
日露戦争時、ヨーロッパ沿岸を通るロシア艦隊(通称バルチック艦隊)を港に入れず、食料や石炭の補給をさせないといういわば兵糧攻めをしたのです。
陸上ならその辺の村から略奪するという手もありますが、海の上ではそうもいきません。
そのためバルチック艦隊は遠回りに遠回り重ね、燃料も食料も枯渇寸前というボロボロの状態で日本海海戦に臨むことになったのです。
日本海海戦というと東郷平八郎やT字作戦など海軍の働きにスポットが当たりますが、その一方でイギリスの嫌がらせ……もとい協力も大きかったということですね。
一連の出来事をドッガーバンク事件と言い、以下に詳細がございますのでよろしければご参考に^^
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ドッガーバンク事件でバルチック艦隊に大ダメージ 戦争にどれだけ影響した?
続きを見る
ちょっと前に薩英戦争でボコスカやってたのに気前のいいことです。
むしろ殴り合って「コイツら使える」と思ったからこそかもしれません。
とはいえ、さらに後の第一次世界大戦ではおまけを取り返すかのように日本へあれこれ言ってきてるんですけどね。
「中国大陸にあるドイツの租借地(土地のレンタルみたいなもの)を攻撃してくれ」
「Uボート(ドイツの潜水艦の総称)の破壊を頼む」
「こっちの戦闘が長引いてるから援軍に来てくれ」
などなど、少しずつエスカレートしていくのがまたなんとも。
このとき参戦したのは海軍だったので、後々役に立ったのかもしれませんが。
しかし、それだと「イギリスのおかげで勉強できたお礼が皇太子の名前がついた船の撃沈」という結果になるのがまた後味悪いですね。
近代史ってそういうものですけど。
日本の「人種差別撤廃」の提案で同盟アボーン?!
ちなみに日英同盟は直接両国がケンカしてポシャったわけではなく、アメリカやフランスなど第三者の圧力によって別の条約が結ばれたため、破棄に至っています。
この四カ国で同盟ではなく条約を結んだ事により、日本の味方は一時いなくなってしまいました。
そこまでの経緯はいろいろあり、原因の一つは日本が国際連盟(現在の国連の前身)で提唱した「人種的差別撤廃提案」です。
日本の誰が言い出したのかはっきりしていませんが、おそらく「自分達日本人(黄色人種)を認めてくれたんだから、他の有色人種だって同じように扱ってくれるだろう」と考えたのでしょう。
しかし植民地政策は人種差別と密接に関わっていますから、列強がこれを認めてしまうと植民地のうまみを自ら手放す事になります。
欧米でも賛成してくれた国はありながら、英米の両大国が反対した事で日本との関係が少しずつ悪化していきました。
どうして同盟相手なのに反対したのか?
というと、イギリスにとっては歴史的により深い関係にあるアメリカやカナダではこのころ黄色人種系の移民に対する差別が合法化されていたからです。リンチ殺人も起きています。
そんな状態だったので、何度か修正を加えて提出し直したものの、この先進的な案が受け入れられる事はありませんでした。
例えばアメリカは第二次世界大戦中も黒人と白人は別の部隊という差別が法的に定まっていました。
以下の黒人部隊などが一例ですね。
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黒人による米陸軍航空隊「タスキギー・エアメン」第二次世界大戦の空を飛ぶ
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アメリカからすると、日本を封じ込めるか植民地化するかでうまみを独り占めしたいがために日英同盟を破棄させたと見ることもできそうですね。
しかしそうはいかず、イギリスとの決別が日本の孤立に繋がるどころか、より大規模な戦争の導火線になることまでは予測してなかった気がします。
無理やりまとめると「自分たちのことだけ考えてるとうまくいかない」ってことでしょうか。
長月七紀・記
【参考】
国史大辞典
日英同盟/wikipedia