明治・大正・昭和

日本軍と遊郭、童貞神話 ゴールデンカムイ尾形百之助と花沢勇作の悲劇を考察

東も西も、やるなら隠れて、って言うでしょ!

明治18年(1885年)、辛口毒舌でも知られる福沢諭吉が、『品行論』で性的なルーズさを徹底的に批判したのです。

「平然とした顔で、誰それが妾を囲っていると言う。自分の妾の話をする。しかも妾の数を自慢する! 恥ずかしくてなりませんな。宴会に芸妓を呼んでイェーイ♪ ってしている、しかも西洋帰りとか、バカなんですか? 西洋人にあれは何かと突っ込まれて、どう説明するんですか? 歌って踊るだけじゃないでしょ。いやらしいこともするんでしょう? 政府高官すら見て見ぬフリなんですから、もうゲス過ぎて話になりません」

こうした福沢の論理には、現代からみると穴があると言えなくもありません。

・娼妓はゲスでどうしようもない、救いようがないのでいわば「人非人」である。女性の保護は全く考えられていない

・別に娼妓を買うのは絶対禁止とは言っていない。ある程度仕方ない

・西洋東洋、ゲスは大勢いる(西洋東洋禽獣甚だ多し)。日本人男子だけが悪いとは言っていない。ただ、やるなら恥ずかしさや慎みを持って、こっそりやりましょうってことですよ!

福沢諭吉の理屈が西洋を意識しているのですから、腑に落ちる部分もあります。

西洋の人々が、日本よりも遊んでいないように見えるのはどうしてでしょうか?

キリスト教の影響?
いやいや、そんな単純なことではありますまい。

場合によっては、法皇だろうと淫蕩三昧です。

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幕末から明治にかけて、西洋が紳士的に見えたとすれば、当時ヨーロッパの祖母であったヴィクトリア女王の影響でしょう。

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実はそれまで、英国王室は厳格とは無縁な人も多いものでした。

特にヴィクトリア女王の前にあたるハノーヴァー朝は、ヨーロッパ屈指のゲスっぷり。
イギリス人は、紳士どころか酒と女でウェーイ♪ ってもんで、ゲス扱いされていたのです。

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ヴィクトリア女王以降、イギリスの王室はドイツからの血が濃く入り込みまして。
そんなわけで、彼女の時代がむしろ例外では、と思われるほどです。

そのあとは、コレですしね……。

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そんなわけで、福沢の言う通り、
【西洋も東洋もゲスだけれども、取り繕いなさい】
というのが、当時の理屈というわけです。

ただし、それだけではない流れも沸き起こります。
これには、「富国強兵」も絡んでおりました。

梅毒をはじめとする性病予防です。

 

梅毒を予防せよ

16世紀初頭、日本にまで到達した性病が「梅毒」です。

治療法のない頃、そのあまりに惨い症状とあいまって、恐怖の対象でした。
1910年代には「国民病」と呼ばれるほどであったとか。

とはいえ、江戸時代までは必要悪とみなされていたような部分があります。
「花柳病」という名前からも、遊んだら罹患しても仕方ないと思われている意識が感じられます。

歴史上の人物が梅毒感染者で、ちょっとびっくりした経験がある方も、多いのではないでしょうか。

しかし、明治時代になるとそんな時代も終わりを告げます。

富国強兵を考慮しましても、梅毒のアウトブレイクは大変おぞましく、おそろしいもの。
男性が感染、それが妻子に感染すれば、一家全滅の危機があります。

女流詩人の金子みすゞも、夫から性病を感染させられていたというのですから、悲しいものがあります。

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梅毒感染を防ぐ方法には、いくつかありました。

・性行為をしない、禁欲
→ただし、求められたのは女性側ばかりという理不尽。かつ夫の性行為を拒むことは想定外

・避妊具を着用する
感覚が鈍くなるからと、消極的な反応が多いものでした

・娼婦の検査徹底
→冷水による洗浄等、大変な苦痛と屈辱を伴うもの

・安い娼婦は買わない
→高級であれば罹患率が低かったのです

・啓蒙活動
→「梅毒に罹りますか? 人間やめますか?」と恐怖を煽ります

どうにも根本的解決がないと言いますか……禁欲が女性側ばかりというのも理不尽な話。
啓蒙活動については、今からするとなかなか考えがたいものがあります。

「妙齢婦人性病模型」なる人形が、各地を展開しておりまして、若くて妖艶な美女人形が、脚を開き気味にして椅子に腰掛けているわけです。

こりゃ気になる裾の奥を見ちゃおうかな〜、とのぞき込むとそこにはただれた秘密の場所が!
ギャー!

「梅毒に罹ると、どんな美人もこうなるんだぞ、ゾゾゾーッ!」
と、主に少年に対して啓蒙するためのものだったそうです。

どうにも歯切れの悪い対処ばかりですが、それが医学的な限界点でしょう。

治療法が確立されたとはいえ、感染防止は重要であることを、お忘れ無きよう(参考サイト)。

さて、ここで考えたいのが、尾形百之助の誕生についてです。

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『いだてん』の小梅を見ればおわかりの通り、浅草で袖を引く女となれば、ランクが低いとみなされても致し方ないもの。

エリート軍人である花沢幸次郎が、浅草芸者である尾形母と、深い仲になったと知られた……それはなかなか気まずいわけです。
芸者は娼婦とは違うとはいえ、あくまで表向きですからね。

尾形両親が好んでいたという因縁の「あんこう鍋」

「そんな浅草にいる下等な女と性的に戯れて、梅毒にでも罹ったらどうするつもりだ? それでも帝国軍人か!」

そんな風に思われたら、外聞が悪いことこの上ありません。
花沢勇作母との縁談だって、最悪破談でしょう。梅毒検査をして、安堵する花沢幸次郎の顔が想像できる気がしますね。

そんな外聞の悪さの塊である尾形母子は、捨てられて当然とみなされてしまったのでしょう。

全面的に悪いのは花沢幸次郎です。
どこまでゲスなんだということですね。

そりゃ尾形もグレますわ!

 

「童貞」崇拝の誕生

さて、ここで考えたい問題がもうひとつあります。
尾形にとって異母弟である花沢勇作少尉は、なぜ童貞だったのでしょうか?

童貞である理由なんて、人それぞれで追及するのも野暮ですが、彼の場合は意識的にそうだったのですから理由があるはずです。

父や異母兄と異なり、軍人として極めて真面目であれば、買春しないことは当然とも言えます。
梅毒に感染したら、エリート将校としては形無しです。エリートである彼ならば、よりそこは慎重になるはずです。

将校との縁談ともなれば、お嬢様やお姫様のような相手となるもの。
飲んだくれて暴れ回る、そんな問題児ではよろしくありません。この外聞のために、尾形母子は犠牲となったわけです。

このあたり、生まれながらのエリート将校である花沢勇作、鯉登。
そうではない叩き上げの尾形、杉元、谷垣、月島らとでは大きな価値観の違いがあるとみてよいでしょう。

もうひとつ。
一体いつから日本では童貞が尊ばれるようになったのか?
ということがあります。

答えは明治以降です。

江戸時代以前の日本では、処女も童貞も価値がないと、来日した外国人が呆れ気味に記録しているほど。

『源氏物語』のような古典にも、その意識はあります。

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光源氏は、戯れかかった女性が処女だとわかると、こう思うのです。

「めんどくせーなー、こういうときわかっている方が楽なんだけどなぁ」

さらに、鬚黒が玉鬘の処女に大興奮と知ると、こう笑いものにしています。

「処女厨とかねえよw ダサい遊び慣れていない奴は、これだからw」

処女にこだわる奴はダッサ、という考え方すらあります。
徳川家康の側室チョイスあたりからも、そんな感覚がわかりますよね。

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処女よりも童貞の方がダサいから、さっさと捨て去るもの扱い。
いつまでも童貞ですと、何か問題があるのでは?と思われるほどだったのです。

「貞操」と言われる価値観は、女性にだけ問われるものという暗黙の了解がありました。

それが明治以降、変わります。

梅毒の危険性、プロテスタント的な価値観の流入により、処女と童貞の価値が上がっていきました。
西洋と比較して、あまりに性的に放縦であるのは恥ずかしいから、隠し通そうという意識とも言えますね。

はじめこそ処女ばかりがもてはやされたものの、時代が降ると童貞こそカッコイイ価値観が、エリート青少年に広まるようになりました。

「この世界でもっとも価値観のある贈り物。それは、愛する新妻に捧げる童貞なのです!」

そんなロマンチックな思想が1920年代ともなりますと根付いていったのです。

同時に、そこには男女同権や平等という価値観もありました。

「妻に処女を求めるのであれば、自分自身も童貞でなければおかしいではないか!」

こういうわけです。
なるほど、と言われれば納得できますかね。

こうした童貞こそカッコイイブームより、花沢勇作はやや上の世代に当たります。
とはいえ、生真面目で高潔、優等生的なエリートである勇作が、童貞を結婚まで守りたいと考えても別に不思議はありません。

しかし、こんなものは尾形からするとムカつく以外のナニモノでもない。
芸者の息子で、生まれた時から蔑まされる存在。
不潔な交合の結果だと父から拒まれ、母は精神に異常を来してしまう。

そんな尾形からすれば、正式な結婚をした両親から生まれてきたピカピカのエリート・花沢勇作が、どれほどムカつく異母弟であったか。
一緒に女を抱きにいくなり、血で手を穢すなりすれば、異母弟なんてこの程度だぜ、仲間だぜ、と割り切れたかもしれない。

それなのに、ああ、それなのに……そうはならなかった結果が、あの悲劇なのです。

その悲劇は二〇三高地で起こった……

尾形百之助と花沢勇作——。

この兄弟の悲劇には、明治という時代の持つ暗部が、密接に絡んでいるのでした。

 

文:小檜山青

【参考文献】
軍隊を誘致せよ: 陸海軍と都市形成』松下孝昭
日本の童貞』澁谷知美
江戸東京の明治維新 (岩波新書) 』横山百合子
生きづらい明治社会: 不安と競争の時代』松澤裕作
いま学ぶ アイヌ民族の歴史』加藤博文・若園雄志郎
北辺警備と明治維新―岡本監輔の慟哭』小野寺満
幕末維新の城』一坂太郎
源氏の男はみんなサイテー』大塚ひかり

ゴールデンカムイ17巻

 



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