ノルマントン号事件と不平等条約の改正

風刺雑誌『トバエ』に掲載されたノルマントン号事件の様子/wikipediaより引用

明治・大正・昭和

不平等条約の改正(領事裁判権と関税自主権の回復)はどう進められたか?

明治時代の外交ネタで、とにかく重要視されるのが不平等条約の改正でしょう。

アメリカ等を相手に結んでいたこの取り決めを解消せねばならん――というのは明治政府の命題でありました。

では、不平等条約とは、どんな国と、どんな風に結ばれたのか? 具体的に確認しておきますと……。

アメリカ・日米修好通商条約

オランダ・日蘭修好通商条約

ロシア・日露修好通商条約

イギリス・日英修好通商条約

フランス・日仏修好通商条約

いずれも安政5年(1858年)に締結されており、【安政五カ国条約】とか【安政の仮条約】と称されることもあります。

年号からお察しのとおり、江戸時代の末期、井伊直弼が大老のときの話ですね。

その後、ドイツ(プロシア)やイタリアなど、他の欧州諸国とも似たような条約を結んでますが、まずは主要5カ国を押さえておけばOKでしょう(受験的には)。

そして不平等条約で問題となったのが、以下の項目です。

領事裁判権
(≒治外法権)

関税自主権

今回はそれぞれの内容をキッチリ把握して参りたいと思います!

 


日本で何か犯罪が起きても裁けない

まずは領事裁判権と治外法権の確認から。

この2つは密接に関わっていて、平たくいうと「なんかあっても日本の法律では裁かないよ! 自分たちの国でやるね!」という権利です。

ややこしいので、アメリカを例に説明してみましょう。

◆治外法権……日本にいるアメリカ人は、日本の法律では裁かれないよ、アメリカの法律で裁くよ、というアメリカ側の権利

◆領事裁判権……日本にいるアメリカ人が、日本で犯罪を犯した場合は、アメリカの領事が裁くよ、というアメリカ側の権利

こうなると飲み屋さんでアメリカ人が酔って暴れて店をぶっ壊し、止めに入った客がケガをさせられても、日本の警察にはどうすることもできないよ(治外法権)、その罪はアメリカの領事が裁くよ(領事裁判権)ということです。

かなりズルい内容ですよね。

では、こうした内容の条約が結ばれると、実際に何がどうなってしまうのでしょう。

リアルに事件なんてあったの?……というと本当に起きてしまうから問題なワケです。

それが【ノルマントン号事件】でした。

 


ノルマントン号事件~日本人乗客は全員溺死

明治16年(1886年)のこと。

横浜から神戸に向かっていたイギリス商船・ノルマントン号が、途中の和歌山沖で暴風雨に遭って座礁沈没し、イギリス人とドイツ人の乗員乗客だけが助かりました。

この船には、日本人の乗客も25人いたのに、すべて溺死。

なぜならイギリス人の船長がわざと日本人を救命ボートに載せなかったからです。

暴風雨の中でも人種差別ができる判断力を、その前の運転(操船)で発揮して座礁を避けろよ、バカ!って話ですよね。

当初、船長側はこの事実を隠しておきたかったようですが、和歌山県知事からの急電を受けた外務大臣・井上馨

「いくらなんでも、人種別に被害がきっちり分かれるのはおかしくね?」

と気付き、詳しく調査をさせて判明しました。ナイス判断。

井上馨
首相になれなかった長州藩士・井上馨「三井の番頭」と西郷に非難され

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井上馨は、別件で条約改正のための交渉にあたっている最中で、ノルマントン号事件の経緯があまりにも露骨なので、断固として抗議することを決意します。

そして、ノルマントン号の入港先である神戸で、兵庫県知事に船長らを殺人罪で告訴させました。

しかし、当時の日本では、日本の法律で船長らを裁くことができません。

そのためイギリス人判事が裁判を行い、信じがたい判決が出ました。

最初の裁判では「ノルマントン号には日本語を話せるスタッフがいなかったから、船長の判断は妥当」というものです。

いやいやいやいや。

船が沈没してるんだから、救助が必要に決まってるじゃないですか。

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