1920-1943年頃の通天閣/wikipediaより引用

明治・大正・昭和

【大阪日本一】という時代が本当にあったんやて! 東洋のマンチェスターの栄華

大阪は東洋のマンチェスターや!」

明治~昭和を舞台にした朝ドラ『わろてんか』で、登場人物がこのような感嘆の言葉を語っておりました。

マンチェスターとは、英国の産業革命によって発展を遂げたイギリスを代表する商工業都市です。

要は、日本を飛び越えてアジア一の都市である――そんな矜持の見え隠れする称号ですが、実際、彼らの言葉の通り、かつて大阪は日本第二の都市ではなく、第一の都市だった時代もあったのです。

それが一体どれほどの賑わいだったのか。

幕末から振り返ってみましょう。

 

「狸のせいでアカンようになってしもた」

「あの家康の狸のせいで、大阪はあかんようになってもうた」

そんな怨み節と申しましょうか。

徳川家康が豊臣家を滅ぼし、江戸に都を置くから大坂(大阪)は駄目になってしまった」という話はよく言われることで、南宗寺には家康の墓標があるほどです(どんだけ~)。

正直これは洒落というか、どこまで本気にすべきかわからないところでありまして。

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大坂は確かに「大坂の陣」で大打撃を受けました。

しかし、そこから復興し、商業の町として江戸時代に大発展を遂げるわけです。

関東人から見ればキツい大阪弁の中には、一方でユーモアも多分に含まれており、柳のようにしなやかで図太いというか、簡単にはポッキリと折れない強さを感じます。

根っこには、そういった商人文化の逞しさがあるのでしょう。

「おおさか」の表記としては、「大坂」か「大阪」か、迷うかもしれません。

江戸時代までは両方の表記があり、明治時代に「大阪」が正式名とされました。

なぜ「坂」が「阪」になったかと言いますと、19世紀あたりから「坂」という字が不吉だとして「阪」を使う方が出てきたからだそうです。まぁ縁起担ぎですな。

 

まぼろしの「大阪遷都計画」と経済低迷期

「家康が余計なことをしなければ大阪が日本の首都やった!」という「if」ではなく、大阪が日本の首都に近づいた時があります。

それは明治維新後の「大阪遷都計画」でした。

戦乱で荒廃し、混乱している江戸よりも、大阪の方が首都にふさわしいという同計画。

一時はこういった論議が湧き起こりましたが、結局は二百年以上にわたり首都として機能していた江戸のほうがメリットが大きいと判断されます。

大久保利通が、徳川家を東京から駿府に移し、それから東京を首都とする意見に傾きました。

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もし大阪が日本の首都だったら?

明治初期にも湧いたそんな想いも結局、秀吉の辞世と同じく「夢のまた夢」と消えてしまったのです。

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五代が復興に励む

明治維新後の大阪は、経済的に打撃を受けます。

・銀本位制の廃止
・藩政消失による債務取り消し

基軸通貨を変えられ、大名に貸していた金を取り立てられなくなる等、経済システムの大変換が起きて、商家は大打撃を受けたのです。

多くの老舗が店を失い、消えてゆきました。

そんな大阪を救うことになるのが、大久保利通の盟友でもあった薩摩出身の実業家・五代友厚です。

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彼は大阪商法会議所(現在の大阪商工会議所)を設立し、大阪経済の回復に取り組みました。

このあたりの混乱は、2015年度朝の連続テレビ小説『あさが来た』において、ヒロインのあさが直面した困難として、描かれていました。

 

都市インフラ整備と一三の功績

五代友厚の死後、大阪は順調に商工業都市として発展を続けます。

それにブレーキがかかったのが、1904年から始まった日露戦争バブル崩壊後の不況でした。

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この不景気で路頭に迷ったのが、証券会社の設立計画が流れてしまった小林一三です。

しかし結果として、この小林の挫折は、彼自身にとっても大阪の発展にもプラスであったかもしれません。

証券会社の話が立ち消えとなった小林は、電鉄事業を展開します。
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