エドウィン・ダン/wikipediaより引用

明治・大正・昭和

日本に骨を埋めたエドウィン・ダン~北海道畜産業の父となった米国人

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アメリカ公使館の二等書記官として再来日

エドウィンは、北海道開拓使が競馬場建設を計画したときにも協力しています。

当時は直線や四角形のコースだったそうで。エドウィンによって現在のような楕円形のコースが提案され、西洋式の競馬が行われるようになりました。

直線はともかく、コースが四角形だと馬がすごく走りづらいと思うんですが……事故の危険性とかなかったんですかね?

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1883年に契約が切れたため、エドウィンは一時帰国しました。そして日本での業績を高く評価したのが他ならぬアメリカ本国でした。

エドウィンは、帰国の翌年には、アメリカ公使館の二等書記官として再来日し、徐々に昇進して1893年には公使にまでなるのです。

公使就任の翌年に日清戦争が勃発したとき、エドウィンは和平交渉のため力を尽くしたといいますから、すっかり親日派になっていたのでしょう。もちろん、アメリカのためでもあったでしょうけれども。

 

日本に骨を埋める

公使を辞任した後は、アメリカ資本で作られた日本の石油会社の直江津支店支配人や、三菱造船東京本社に勤務。

1931年に亡くなるまで日本に留まっています。

この時代の外国人の中では、日本に入れ込んでくれていた一人といえるでしょうね。お雇い外国人として長く日本に滞在しても、母国に帰った人のほうが多いですから。

同じく北海道で農産・畜産に関わっていた、クラーク博士とは対照的ともいえます。

クラーク博士も日本が嫌いだったわけではなさそうですけど。

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また、アーネスト・サトウのように、日本での最期を望みながらも果たせなかった人もいます。

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交通網が現代ほど発達していなかった時代ですから、エドウィンも「一度日本を離れたら、次はいつ来られるかわからない」と考えて、ずっと日本で過ごすことを選んだのかもしれません。

それは奥さんへの愛のなせるわざだったのか、はたまた個人的に抱いた日本への愛着だったのか。

せっかくなら、両方であってくれると、後世の我々としても嬉しいですね。

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長月 七紀・記

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【参考】
農林水産省
『お雇い外国人 明治日本の脇役たち』(→amazon
『明治お雇い外国人とその弟子たち』(→amazon
エドウィン・ダン/Wikipedia
真駒内用水/Wikipedia
畜産/Wikipedia

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