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ヒグマと遭遇したらどうする? 危険な羆と共生してきたアイヌと開拓民

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ヒグマに遭遇したら?
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ヒグマのアルビノ個体

ゴールデンカムイ』22巻では、ヒグマのアルビノ個体が出現します。

そういう記録は実際にあったのか?

ちょっと探ってみますと……。

・虹彩は赤い

・皮膚は赤色を帯びている

・毛が白い

延宝3年(1675年)、幕府に白いヒグマの毛皮が献上されたと『松前志』に記録があります。

2010年代になってからも、白いヒグマが道内で目撃されています。

◆全身白い個体数回目撃 アルビノか 北海道・下川(→link

 

アイヌがヒグマと生きる知恵

明治政府は、アイヌを「旧土人」と定義。

刺青や耳輪、そして毒矢による狩猟といった伝統を野蛮だとして禁止してゆきました。

その地に生きる開拓民や屯田兵は、アイヌの知恵によって生き延びることもあったにも関わらず、和人やお雇い外国人が一方的に生きる知恵を与えるものだとして定義したのです。

結果、明治時代以降、北海道の野生動物は絶滅する種が増え、ニシンが枯渇するような自然破壊も起こりました。

ヒグマの場合にも、知識の共有が今にまで通じる問題としてあります。

ヒグマをやたらと怖がるのではなく、正しい知識で、人との遭遇を避けていくこと――動物愛護はとは、正しい知識あってのことでしょう。

『ゴールデンカムイ』でも、ヒグマはキムンカムイ(山の神)であると語られています。

ただ、それも人を殺さない限りのこと。

人を殺したヒグマは、ウェンカムイ(悪しき神)となってしまう――だから、狩るのは悪いことではない。むしろ、そうしなければならない。

このアイヌの知恵こそ、現代の人々にも求められているころではないでしょうか。

真の動物愛護と人との共生とは、人のもたらす味を知ったヒグマを殺さないよう電話をかけることではなく、人との接触を防ぐことではありませんか。

三毛別羆事件】のような悲劇も、突き詰めると開拓時の知識不足と環境の悪さが原因となっています。

ヒグマの生息域に開拓民が入り込み、人も、ヒグマも、不幸な結末を迎えました。

『ゴールデンカムイ』は、アイヌの少女アシリパがヒグマと戦う場面から始まります。

落ち着き払って、自らの知識と腕でヒグマと互角以上の戦いを見せるアシリパに、読者は引き込まれる。

この描写はアイヌの経験に基づくものです。

北海道に元からいたアイヌは、ヒグマとの暮らしに長けていました。

かつ、これは道民クリエイターの主張と経験も感じます。

道民の作品では、ヒグマの恐怖がともかく描かれる。そういう問題提起も強く感じます。道民とヒグマとの共生は、現在も模索中なのですから。

◆弓と仕掛け弓

アシリパが持つアイヌの弓は、和弓ほど腕力を必要とせず、小柄なアシリパでも扱いやすい武器です。

長さはだいたい1メートルほど。

樹木とその繊維を用いて作られています。

最大の特徴は毒です。トリカブトはじめとする植物を調合した毒が威力を発揮します。

仕掛け弓のアマッポは、大きな威力を発揮しました。

雨で矢毒が流れぬように工夫されており、大型の獲物を捕らえる際に役立つものです。

人間に刺さると悲惨なことは、作中で谷垣が証明済ですね。

◆杖、手槍、小刀

第3話扉絵で説明されておりますので、手元の1巻でもご覧ください。

こんな短い原始的なものでどうにかなるのか?

そう思いたくもなりますが、前述の通りヒグマは基本的に臆病なのです。こうした武器で撃退した実例も記録されております。

成功例は勇者の記録として残されているのです。

現代でも、リーチの短い得物での撃退例があります。

スコップ、鎌、包丁、手斧、石、鉈……手元にある道具を必死で振り回した結果、ヒグマが逃げていった例はあるのです。

「あのメノコ(女性)はすごいんだ。マキリ(小刀)でヒグマを追い払った!」

こんな記録を読んで、そんなことがあったのかどうか? そう疑いたくなる気持ちは理解できます。

しかし、もう一度ヒグマの気持ちを考えてみましょう。

ヒグマだって怖い。人間との出会いに驚いているのです。そんなヒグマにトドメを刺さなくともよい。追い払えばそれで済む話ですから、現在は熊除けペッパースプレーもあります。

むろん、こうした道具はあくまで非常時用かつ、最終兵器であることはご留意ください。

遭遇した際に使うものです。これさえあればヒグマに勝利できると過信することなく、まずは絶対に遭遇しないことを心がけねばなりません。

遠目で見かけたら、接近してはいけない。

遠くから矢を放つ。仕掛け弓で弱らせる。もし接近して遭遇したら、短い武器で追い払う。そこにはヒグマと生きてきた知恵が凝縮されています。

かつて、アイヌとヒグマはじめ野生動物といえば、イオマンテのような行事がクローズアップされてきました。

自然と生きる心優しいイメージが、そこにはあったものです。

※『イオマンテの夜』

和人の抱いてきたイメージのわかりやすい代表例が、『サムライスピリッツ』シリーズにおけるナコルルでしょう。

 

ドット絵の限界があるためとはいえ、簡素化された衣装の模様。

マタンプシ(鉢巻)をアレンジしてリボンのようにしたもの。

そしてナコルルステージの背景にはヒグマの生体がおり、妹リムルルが抱かれておりました。

ナコルルは、自然破壊を阻止するために戦う、エコロジストのような動機付けがされていたものです。

発表当時の限界もあり、ナコルルそのものやナコルルファンに何か言いたいわけではありません。

ただ、こうした従来にアイヌ観を『ゴールデンカムイ』は修正していることについては考えたいところなのです。

 

・アシリパは、ウェンカムイとなったヒグマを容赦なく倒す。それでも、かつて自分が可愛がっていた小熊がイオマンテで送られたことがトラウマになってはいる。

・イオマンテとは、さらなる毛皮と肉をもたらすための儀式であり、和人が考える素朴なイメージのものではくくれないものである。

・アイヌは、ナコルルのような動物愛護を掲げているわけではない。ヒグマ狩りの名人が、それを誇りに思っている記録がちゃんとある。ヒグマはじめ動物との関係性や考え方が、和人とはそもそも異なる。

・個体としての動物殺傷は拒まないものの、種そのものを取り尽くすような発想は禁忌である。このことが『ゴールデンカムイ』の重要な要素となりそうではある。

・ヒグマについての知識と経験は和人より豊富で、アシリパが杉元に戦い方を教えるのは、極めてまっとうで理にかなっている。その場面が冒頭にあり、アニメ版でもカットされないことは大きな意義がある。あの場面には、アイヌと北海道開拓民の歴史が象徴されている!

このように、北海道とヒグマには深い歴史、知識、考え方があります。

冒頭に戻りますが、道外の人が気軽にヒグマと人の関係性に口出しすべき問題ではないでしょう。

ヒグマを保護することは、もちろんできます。

それは人と生活圏が重ならないようにすること。そして道民は、既にそのことを心がけています。

北海道を観光するのもよい。

舞台にした作品を満喫するのもよい。

ただし、動物と道民の関係、自然破壊につながるようなことはしないよう、心がけたいものです。

 

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文:小檜山青

【参考文献】
門崎允昭『の実像』(→amazon
宇多川洋『クマとフクロウのイオマンテ―アイヌの民族考古学 (ものが語る歴史シリーズ)』(→amazon
中川裕『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」 』(→amazon
『アイヌをもっと知る図鑑 (別冊太陽 日本のこころ)』(→amazon

 



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