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天皇に切腹を止められる
多くの犠牲を出してしまったことについて。
攻略後の旅順で鎮魂祭を行い、帰国後、明治天皇にお詫びを言上しているほどですからかなり気にしていたのでしょう。
当たり前といえば当たり前ですが、このときの復命書(帰還したときの報告書)を読んでみると、乃木が心の底から戦死者・病死者へ申し訳ないと思っていたことが伝わってきます。
「好機を獲ざりしは臣が終生の遺憾にして、恐懼おく能わざる所なり」
【意訳】攻める絶好のチャンスを逃したのは、私の一生における最大のミスです
「戦死病没者にこの光栄を分つ能はざるを傷む」
【意訳】戦死者と病死者に、陛下から戴いたこの栄誉を分けてやれないのが申し訳ない)
この復命書を読み上げながら、乃木は天皇の前で泣き崩れたといいます。
さらに「これほど多くの犠牲を出してしまったお詫びは、切腹する他ありません」とまで言っていました。
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しかし明治天皇は「お前の気持ちはわかるが、今は許さない。もしどうしても切腹するというなら、私が死んだ後にせよ」と引き止めます。
乃木のほうが(3歳だけですが)年上でしたから、自分が先に死ぬとは思っていなかったのかもしれません。
その後も学習院の院長を任せたりして、変わらぬ信頼を示します。
しかし6年後の7月、明治天皇は長く患っていた糖尿病が悪化して崩御してしまいました。
そして乃木は言いつけを守り、妻とともに自殺したのです。
★
最後の最後まで明治天皇に従った乃木は、まさに明治に生きた侍でした。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
『日本の軍人100人 男たちの決断』(→amazon)
乃木希典/Wikipedia