photo by Babi Hijau /Wikipediaより引用

明治・大正・昭和

三毛別羆事件に震えが止まらない……ヒグマに襲われ死者7名・重傷者3名

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包丁一本でヒグマを倒した猟師が到着

12月11日

住民がもう少し離れた場所に避難。

区長や駐在所の警察官などと相談して、行政を頼ることになる。

12月12日

北海道庁に連絡が届き、警察官を主体とした討伐隊が組まれ、医師も現地に向かう。

ヒグマの「獲物を取り戻そうとする」習性を利用し、まだ通夜を済ませていなかった犠牲者の遺体周辺で待ち伏せることになった。

件のヒグマは予想通り現れたが、武装した人が多いことを悟ってか、襲ってこなかった。

12月13日

陸軍からも応援が到着。

ヒグマは無人の村の食料を漁り、女性の寝具などを荒らしていた。

この日からヒグマは昼間から村に現れるようになり、焦れてきていたらしい。

一度討伐隊が撃ちかけたものの、仕留めることはできなかった。

12月14日

かつて包丁一本でヒグマを倒したという凄腕の猟師が到着。

軍帽やロシア製ライフルを持っていたそうなので、日露戦争時には従軍していたと思われる。

討伐隊が再びやってくる前に、この猟師がヒグマの背後から心臓と頭を撃ち抜いた。

当時の開拓村の家(再現)/ photo by Babi Hijau wikipediaより引用

 

同様のヒグマ事件はまだまだ起きていた

仕留めた後に大きさ・重さを調べたところ、

体長2.7m
体重340kg

という、規格外のサイズだったことが判明しました。

また、体に比較して異様に頭が大きかったとか。

脳が大きいから頭がいいとは限りませんが、事件の経緯からすると納得できてしまいます。

ヒグマの遺体は犠牲者の供養のため、解体した後に猟師や遺族に配られたそうですが、筋っぽくて美味しくはなかったとか。

他の部分=毛皮や骨は行方不明になってしまったそうです。

仕留めた直後は討伐隊に文字通り踏んだり蹴ったりされていたとのことなので、残しておきたくもなかったのでしょう。

こうして三毛別における惨劇は幕を閉じましたが、実はこの前後にもヒグマによる同様の事件が起きています。

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