北里柴三郎とペスト

北里柴三郎/wikipediaより引用

明治・大正・昭和

ペストの日本上陸を食い止めた北里柴三郎! 細菌学の父は義にも篤い人

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ペストと北里柴三郎
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在学中は何度も留年し、卒業後はドイツへ

北里柴三郎は1853年、熊本の庄屋に生まれます。

東京医学校(現在の東京大学医学部)に進学したのが明治8年。在学中は教授と折り合いが悪く何度も留年したそうです。

卒業後はドイツ留学でコッホに師事し、1889年には破傷風菌の純粋培養に成功、翌年には破傷風の抗毒素を発見します。

更に菌を動物に少しずつ注射し、血清中に抗体を作らせる『血清療法』を開発し世界を驚嘆させました。

そして、1890年には血清療法をジフテリアに応用し、同僚であったベーリングと連名で論文を発表。

この業績により第1回ノーベル賞の候補に柴三郎の名前が挙がりましたが、受賞したのは共同研究者のベーリングでした。う〜ん残念。

論文をキッカケに注目を浴びた彼は、欧米各国の大学や研究所から破格の待遇でスカウトされます。

が、「医学が弱い日本のために国費留学したのだ」と誘いを固辞して帰国しました。

 

福沢諭吉の援護のもとに研究所を立ち上げる

留学中に多大な業績をあげたのだから、帰国後も好待遇で研究できたに違いない!

ところがどっこい、北里は留学中に脚気の研究を行い、東大教授・緒方正規の説に対し脚気菌ではないと批判をしちゃったんですね。

現代から見ると北里の方が正しいのですが、母校の東大医学部から「恩知らず」として睨まれてしまいました。

このピンチに救いの手を差し伸べたのが『福沢諭吉』です。

福沢諭吉
勝や榎本にケンカを売った福沢諭吉~慶応ボーイの先生は誇り高き武士だぞ!

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私財を投じて「伝染病研究所」を作り、北里に研究の場を提供しました。なんという泣ける話や!

「伝染病研究所」の外観を模した近代医科学記念館(東京大学医科学研究所)/photo by Tokyo Watcher wikipediaより引用

1894年、北里はペストが流行する香港へ日本からの調査団として派遣。

そして到着からわずか2日後に、死亡患者の血液からペスト菌を発見するのです。

不幸な事に、このとき患者の解剖を行った調査団の医師2人がペストに感染してしまいました。しかし……。

北里は帰国をせずに研究を続け、ペスト菌が一般的な消毒法で死滅することを突き止めるのです。

また、ペスト患者の家にネズミの死骸が大量にあったことに目をつけ、死にかけたネズミの血液を採取しペスト菌を発見、ネズミが伝染に関わっている可能性を指摘しました。

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