志賀重昂

志賀重昂(左は結婚写真)/wikipediaより引用

明治・大正・昭和

志賀重昂と「和魂洋才」~地理学者が示した柔軟な国粋主義とは?

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
志賀重昂の「和魂洋才」
をクリックお願いします。

 

西洋化に進む中で主張した「ナショナリズム」とは

彼は自身の見識をまとめた『日本風景論』という本も出版しました。

タイトルの通り、日本の風景や気候についてまとめたもので「こういう美しい場所があるんだから、ウチの国はいいところなんだぜ!」(超訳)と述べています。

ナショナリズムといえばそれまでですけれども、驕り高ぶることと正しく認識することは違うでしょう。

当時の知識人は「公用語を英語にすべし」とか「より優れた人種になるために、欧米人との結婚を推し進めて血筋を作り変えなければならない」ということを言う人もいたほどです。

お雇い外国人で医師のベルツが「欧米のマネばっかで情けないな!」(超訳)とキレるのも当たり前の話ですね。

 

欧米にはじまりインドや中近東へ

志賀は最終的には早稲田大学の教授となり、アメリカ・ハワイ・カナダ・キューバ・メキシコ・満州・モンゴルなどへも講演旅行を行いました。

大正に入ってからはイギリス王立地学協会の名誉会員になり、その縁でしょうか、アメリカやヨーロッパだけでなく、インドや中近東などにも行ったようです。

しかし、老齢に入ってからの世界視察は体に相当の負担をかけました。

左膝に関節炎を起こしてしまい、その手術後に志賀は亡くなっています。

関節炎で、しかも手術後に亡くなるというのはピンと来ませんけれども……関節炎にも細菌によるものや、糖尿病に関係するものなどいろいろあるので、その辺だったのかもしれません。

志賀が亡くなった後、「和魂洋才」という視点の国粋主義者はほとんどいなくなってしまいました。

結果については皆さんご存じの通り。

もし、志賀のように「自国を大切にしつつ、良い物を受け入れていこう」といったバランス感覚に優れた人があの時代の総理大臣になっていたら、日本の近代史は随分変わったものになっていたのではないでしょうか。

あわせて読みたい関連記事

北海道開拓はとにかく過酷! 明治維新の敗者、屯田兵、新選組、囚人、ヒグマ

続きを見る

伊藤博文
伊藤博文が秀吉ばりの超出世で足軽から総理大臣へ~実は幕末の生き様も凄い!

続きを見る

日清戦争
日清戦争の原因と結果! 舞台となる朝鮮半島がカオスとなり戦闘勃発!

続きを見る

日露戦争
日露戦争になぜ勝てた?仁川沖海戦に始まりポーツマス条約をマトメるまで

続きを見る

乃木希典(元陸軍大将)妻とともに明治天皇に殉じた軍人の生き様とは

続きを見る

明治天皇の功績&エピソードまとめ! 現代皇室の礎を築いたお人柄とは

続きを見る

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
志賀重昂/wikipedia

TOPページへ

 



-明治・大正・昭和
-

© 2021 BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)