明治維新後の幕臣

1897年に撮影された人力車/wikipediaより引用

明治・大正・昭和

倒幕で放り出された幕臣たち~明治維新後はどうやってメシを食ってたん?

大河ドラマ『青天を衝け』では、明治新政府で休む間もなく働く政治家や官僚たちの姿が描かれています。

倒幕後に立ち上げた新政府だけに、やることは山積。

猫の手も借りたいぐらい働きまくった――そんなイメージがありますが、現実はさにあらず。

明治初期の政府では、何もすることがなく、煙管をボーッと吹かしているような者も大勢いたとか。

なぜ、そんなバカなことが起きていたのか?

というと、岩倉や薩摩藩上層部なども反対していた強引な武力倒幕を進めてしまったため、公務員(幕臣)も一斉に追い出され、国の土台までが破壊されてしまったからです。

キチッとした引き継ぎが必要なのは、今も昔もどんな業種も変わりません。

倒幕
西郷が強引に進めた武力倒幕~岩倉や薩摩藩は下策としていたのになぜ?

続きを見る

では、このとき追い出されてしまった幕臣たちは、どうやって生活していったのか?

その後の幕臣たちを見てみましょう。

 

国家ビジョンがないままの倒幕

天皇を中心とした新政府を作るのだ――。

そんな風に描かれる明治維新だけに、当然ながら、明確な国家ビジョンがあったと思われがちです。

歴史の授業からしても、そんな印象をお持ちになられるでしょう。

しかし実態を見てみればそうではありません。

そもそも諸外国の事情をよく知っていたのは江戸幕府であり、国として機能させるためには彼等の力が不可欠でした。

ところが、です。

例えば、戊辰戦争の中で、新政府軍は有能な幕臣・小栗忠順を冤罪で処刑しています。

小栗は、大隈重信が「明治の近代化はほとんど小栗の構想の模倣に過ぎない」と評したぐらいの傑物。

小栗忠順
渋沢より経済通だった幕臣・小栗忠順はなぜ消された?青天を衝け武田真治

続きを見る

彼だけでなく、日本各地に小栗に準ずるような優秀な幕臣・佐幕派の者たちもいました。

これは明治新政府の元藩士たちが無能ということではありません。

政権を握っていた上級官僚・役人たちに、それだけの情報やシステムが浸透していたということです。

だったら明治新政府も幕臣を雇えばよかったではないか?

そう思われるでしょう。

そこで、いったん視点を変えて、将軍サイドに目を向けてみたいと思います。

勝海舟山岡鉄舟)と西郷隆盛の交渉によって、徳川慶喜の首はつながりました。

明治維新後は、徳川家先祖伝来の土地とされた駿河藩70万石へ移住。

江戸城無血開城
実は流れた血も多かった江戸城無血開城の真実~助かったのは慶喜だけ?

続きを見る

慶喜本人は趣味と女中との子作りに悠々と生きておりましたが、家臣はそれどころではありません。

将軍様のお膝元、直接徳川家に仕えていた幕臣には選択肢が示されました。

1. 主である徳川慶喜とともに、駿河に移住する

2.朝臣(朝廷の家臣)として新政府に仕える

3.武士の身分を捨て、農業や商業等を始める

「1」は、苦しい生活が待ち受けていました。

なにせ70万石まで石高を減らされたのですから、食べていくだけでも苦しいのです。一家揃って餓死するような悲惨な例もありました。

現実的に食い扶持を稼ぐためには「2」を選ぶしかありません。

ところが、です。この「2」を選ぶのが幕臣には辛かった。

そもそも幕府随一の頭脳とされた小栗忠順が冤罪でいきなり処刑されてしまい、明治新政府に対して何ら信用が持てません。

そして幕臣には徳川への忠誠心もあった。

新政府軍が無益な内戦(戊辰戦争)などに持ち込まず、選択肢「2」を選ばせるような政治的展開にしていればよかったかもしれません。

ともかく幕臣には江戸時代に醸成された忠誠心があり、江戸城で拳銃自害を遂げた川路聖謨や、はるばる函館まで転戦した幕臣を考えれば簡単に「2」など選べません。

しかも、そうした状況は彼らだけの問題でもありませんでした。

幕府と新政府の二君に仕えた者に対しては、出入りの商人も失望し、生活必需品すら買えなくなったこともあったといいます。

それでも「2」を選んだ場合、勝海舟や榎本武揚のように、旧幕臣から筆誅を加えられることもありました。

「3」は、実力があれば選ぶことができる道であり、福沢諭吉栗本鋤雲が代表格です。

栗本鋤雲
栗本鋤雲(青天を衝け池内万作)は二君に仕えず!反骨のジャーナリストに

続きを見る

福沢諭吉
勝や榎本にケンカを売った福沢諭吉~慶応創始者の正体は超武骨な武士!

続きを見る

文才がある者たちは、外から国作りを見てやるのだという気概に溢れていました。

ただし、現実的に食べていくことは難しく、福地桜痴のように、新政府の御用記者となってしまうケースもあります。

福地源一郎福地桜痴
福地源一郎(桜痴)は渋沢に都合のいい御用記者?漱石や諭吉がダメ出し

続きを見る

そもそものスキルがない場合、家財道具を売りに出して食い繋ぎ、慣れぬ仕事をする他ありませんでした。

 

幕臣から藩士に戻る

身分として幕臣に取り立てられていたけれど、所属していた大名家に戻る――そんなケースもあり、廃藩置県までは可能でした。

わかりやすい例として、斎藤一をあげましょう。

浪人として新選組に入る(新選組は会津藩お預かり)

新選組幹部である近藤勇土方歳三は「幕臣」としての身分を選ぶ。斎藤一は彼らに従わず、会津藩で別行動を取る

明治維新後は会津藩士から斗南藩士となる

新選組の分裂は、各人の心情的な対立があったとされます。

しかし、当時の身分について考えてみると見えてくるものがあります。

幕府に直接雇用された幕臣か? それとも会津藩所属か?

前者だと考えれば、会津藩と別行動をとる。

後者なら、会津藩のために動く。

斎藤一は会津藩としての行動を選んだ典型例であり、それは死後であっても続いています。彼は、会津に墓を建てて欲しいと言い残し、それが実現されました。

このように、元の藩士としての所属を回復し、戻った者もおりました。

とはいえ、これも廃藩置県までのこと。

以降はどこかに再就職を果たすしかなく、斉藤の場合は、警視庁に巡査として就職します。そしてその後も会津藩時代の人脈を頼りに、働き口をみつけてゆくのでした。

『るろうに剣心』の斉藤一も味がありますが、史実の彼もまた、明治を生きる元武士の一典型として興味深いものがあります。

斎藤一
ナゾ多き新選組の凄腕剣士・斎藤一72年の生涯 その魂は会津に眠る

続きを見る

斗南藩
斗南藩の生き地獄~元会津藩士が追いやられた御家復興という名の流刑

続きを見る

牙突るろうに剣心
『るろうに剣心』に登場の斎藤一「牙突」を考察 元ネタは真サムか

続きを見る

漫画『ゴールデンカムイ』で言うと、門倉という人物がいて、彼の父が北海道へ渡った会津藩士あたりと推察できます。

彼等のように負け組の子孫たちが、北海道でたくましく生き抜いていたのです。

『ゴールデンカムイ』の門倉は会津藩士か仙台藩士か? ルーツを徹底考察!

続きを見る

※続きは【次のページへ】をclick!

次のページへ >



-明治・大正・昭和
-

×