パンダの歴史

明治・大正・昭和

外交に翻弄されてきたパンダの歴史~日中友好50周年を機に振り返る

たとえどれだけ優しい言葉をかけようと。

たとえどれだけ美味しいお菓子を並べようと。

ひと目、見た瞬間に「可愛い♪」と心を奪われてしまうコイツには誰も勝てない――そんな、子供たち大好き動物の代表がジャイアントパンダでしょう。

ご存知、中国に生息する愛嬌抜群の生き物ですが、見た目の可愛さに反するかのように、その歴史は浅く、しかも存在を認知されてからは人間たちに振り回されまくっています。

一言で言えば政治外交のツールとして使われてきたんですね。

他ならぬ日本でも、日中友好の絆として上野公園に来てから2022年で50年が経過。

今回はそれを機に、パンダの歴史を振り返ってみたいと思います。

 

中国のシンボルである動物とは?

中国のシンボルである動物とは何か?

この質問を昔の日本人にしてみれば、こんな答えが返ってくることでしょう。

龍だ!

いや、虎か!

龍は実在しませんが、虎は中国には生息しています。

人名にも頻出するし、干支でも使われ、竜のように強い。「虎のように大酒飲み」なんて慣用句もあるほどです。

戦国ファンなら『越後の龍』である上杉謙信と、『甲斐の虎』武田信玄はよく知られた存在でしょう。

美術品のモチーフとしても頻出する虎――日本人はその実物を見る機会がなく、猫をモデルにしたせいか目がおかしいという指摘もされてきましたが、いずれにせよメジャーな存在でしょう。

これは中国本土や韓国でもあてはまり、他の動物はあまり出てこない。

ましてやパンダなんて、漢詩に詠むことはないし、絵にも登場せず。

現代では「中国の動物=パンダ」という方程式が成り立つほどなのに、なぜ歴史的には存在感が薄かったのか?

その答えは地域にあります。

パンダが暮らしていたのは三国志で御馴染みの「蜀」、現四川省の山奥で暮らしている動物でした。

蜀は中国の政治中心地であった中原や、経済や文化的に発展を遂げた江南からも非常に遠い。

山奥なため、亡命政権でもなければ、わざわざそこに都を置こうとはしません。

こんな特徴的な言葉があります。

「蜀犬日に吠ゆ」

蜀は日照時間が極端に短いため、そこの犬は太陽を不審に思って吠える――そんな意味であり、「夜郎自大」と同じく、貶めるニュアンスもある言葉です。

※夜郎自大……中国西南地方の民族である「夜郎」が、「漢」の強大さを知らずに自分の力を自慢していた(ひいては「仲間内で威張ること」という意味に)

要は田舎モンってことですね。

四川省は訛りが強いことでも知られ、とにかく地方色が濃い。

そんな蜀の山奥にいたパンダが、歴史上で脇役だったのは自然なことでしょう。

過去の呼び方すら不明です。

20世紀に入って「熊猫」と定められるまで、「猫熊」とか「羆(ヒグマなど大型の熊)」あるいは「白熊」など複数の呼称があり、統一されていませんでした。

 

欧米のハンティングブームに火をつける

1896年――フランス人のダヴィッド神父が四川省の山奥を探検していると、地元の人から見慣れない「白と黒の毛皮」を見せられました。

彼らは驚きます。

「レッサーパンダに似ているじゃないか!」

現代からすると逆の感覚ですが、当時はレッサーパンダのほうが先に珍獣として人気を得ていて、ジャイアントパンダは後から認識されたのです。

しかしそれこそが不幸の始まりでした。

当時、流行していた欧米人のハンティングブームに火をつけてしまったのです。

産業革命が始まると、欧米の男たちは危機感を覚えました。

なんでもかんでも機械化されて、男らしさを失ってしまう。そうだ、狩猟で男らしさを取り戻そう――そんなマッチョイズムのもと、狩猟が流行したのです。

イギリス貴族やアメリカの富豪の屋敷に剥製がズラリと並ぶ様子をテレビや映画などでご覧になったことがおありでしょう。あれは狩猟ブームの名残だったのです。

野蛮な未開の地で珍獣を狩るとなれば心が躍る。

欧米人に発見されたパンダは、狩猟の獲物であり、無造作に射殺され、骨や皮を持ち帰ることがブームになってしまいました。

 

アメリカに訪れた世界初のパンダブーム

当初は狩りの獲物として見られていたパンダ。

それが可愛い存在となったのはいつのことなのか?

1936年、女性探検家ルース・ハークネスがアメリカに生きたパンダのスーリンを持ち帰りました。

そして翌年、生きたまま公開すると……。

かわいい!

と、全米が感激し、世界初のパンダブームが起きました。こうなると他の動物園も熱い眼差しを注ぐようになり、パンダは狩りの対象から生きて持ち帰る時代に入ります。

アメリカだけじゃありません。

世界各国で、パンダというカワイイ動物が中国にいることに気付きます。

しかしその時代は、戦争の世紀の始まりでもありました。

そう。パンダは発見のタイミングから、政治を背負う宿命にあったのです。

その一例が蒋介石夫人の宋美齢です。

日中戦争の時代を迎えると、彼女はアメリカにパンダを贈呈する平和外交を展開。

平和の象徴として米メディアでも歓迎され、外交政策において重要な意味合いを持つようになりました。

敵対していた日本のメディアは、その怒りをパンダにまで向け、「あんな醜い獣の何がよいのか!」と貶していたこともあります。

第二次世界大戦の終結後、中国の国共内戦において共産党が勝利をおさめると、敗れた国民党は台湾へ。

こうなると本土の四川省にしかいないパンダは、共産党のものとなります。

冷戦開始のタイミングで、パンダは共産主義に組み込まれました。

1957年、ソビエト連へのパンダ贈呈は、まさしくその象徴ですが、ことはそう単純でもありません。

1960年代には中国とソ連との間に対立が生じる。

一方で、アメリカはじめ資本主義の国々も、やっぱり、あの可愛い動物に来て欲しい。

かくしてパンダは外交の使者として、ますます重責を担っていくことになったのです。

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