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【光孝天皇】
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陽成天皇は自分を推してくれたことで藤原基経に感謝していたようで、実質上の関白にあたる職へ任じています。
基経もこの時点で50歳近かったのですが、光孝天皇よりも長生きしていますので、これは大正解でした。
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また、親王時代は生活が苦しかったらしく、即位してからも当時の苦労を忘れまい、と昔焦がしてしまった台所をそのままにさせておいたとか。
ずっと後の時代ですが、肥後の鳳凰こと細川重賢にも似たエピソードがありますね。
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台所じゃなくて”若い頃にした借金の札をずっと持っていた”というものですけども。
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百人一首15番に採用
親王時代に詠んだ
「君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ」
という歌は、もしかすると本当にお手ずから若菜を摘まなくてはいけないほど生活が苦しかったことの表れなのかもしれません。さすがにないか。
若菜摘みは新しい草の力=生命力にあやかるという意味があるので、験かつぎにご自身でやった可能性もなくはないですけども。
この歌は百人一首15番にも採られていますし、天皇の御製にしては言葉遣いや技巧も少なく、そのままでもわかりやすいのでご記憶の方も多そうですね。
かるただと50番の
「君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな」
と混同しやすいので、ある意味恨まれている歌でもありますがね。
「君がため」の後が「は」か「お」かでわかりますが、よく知られた手なのでそれでも負けるときは負けますし。
和琴や乗馬、弓もお得意
歌の他にも和琴や乗馬、弓がお得意だったようで。
一度途絶えていた鷹狩りを復活させたりもしています。
即位時のお年を考えると本当に元気なお方ですね。
どうでもいいですが、容姿も「閑雅」=しとやかで優雅である、と記録されているので、「地味系だけどよく見たらイケメン」みたいな感じだったのですかね。
人柄の良さや教養がにじみ出たものでしょうか。今で言えばナイスミドルか”ロマンスグレーの紳士”かそのあたりですかね。
伊能忠敬などもそうですが、この”50代半ば”というのは、何か新しいことをやるのに良い時期なのかもしれません。
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昔はいざ知らず、現代人であればまだ体力が衰えきっているとまでではないですし、それでいて経験は豊かにあり、分別もある頃合ですからね。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
光孝天皇/wikipedia