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和泉式部は親王や貴族を虜にする小悪魔系? 恋多き女流歌人の作品とは

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竹取物語の「蓬莱の玉の枝」のような無茶振りを

「和泉式部自身の日記である」という確証があるものは存在しないので、彼女がどういった言動をしていたのか、どういう考えがあったのかはわかりません。

※「和泉式部日記」は本人が書いた日記ではなく、他者が書いた日記風の物語という説がある

しかし、その一端を知ることができそうなエピソードとして、こんなものがあります。

道長の家来に、藤原保昌(やすまさ)という人がいました。公家ではありますが武芸にも通じていて、道長の信頼も厚かったようです。

あるときこの保昌に、和泉式部が「紫宸殿の梅を一枝手折ってほしい」というお願いをしたことがあります。

紫宸殿というのは内裏の儀式場のことですから、当然のことながら昼も夜も警備がたくさんいるわけです。

つまり、これは竹取物語の「蓬莱の玉の枝」のような無茶振りということになります。

女性の頼みを断っては男がすたると考えたのか、それとも既にすっかり惚れ込んでいたのか。保昌は警備に弓を射掛けられつつ、見事梅の枝を手折って和泉式部へ渡すことに成功しました。

これを見た和泉式部は保昌の勇気と男気を認め、結婚を決めた……という話です。

祇園祭のモチーフのひとつにもなっているので、ご存じの方もいらっしゃるでしょうか。

これがそっくりそのまま事実だとしたら、和泉式部という人は「男性に対して割と難しいおねだりをすることが度々あった」のではないでしょうか。

それなら複数の異性と交際するのが珍しくない時代に、わざわざ「浮かれ女」「素行がよくない」と言われた理由もわかりますし。

男性を遊び半分で試して面白がりもするけれど、歌がうまくて頭が良くて、情熱的で……そんな女性であれば、貴族の男性が次々に惹かれていくのも納得できる気がしませんか?

とはいえ、保昌は和泉式部より20歳は年上だったので、その後任国の丹後についていった後は、やや不満気な歌も残していますが。保昌は保昌で、和泉式部以外の女性もいたようですしね。

まあ、どちらも当時の貴族社会では珍しくないことですけれども。

 

娘が孫を生んだ直後に亡くなってしまう不幸

和泉式部の中年期以降の言動については詳しくわかっていません。

万寿二年(1025年)に娘の小式部内侍に先立たれた際、悲痛な歌を詠んでいます。

とどめおきて 誰をあはれと 思ふらむ 子はまさるらむ 子はまさりけり

【意訳】あの子は死ぬ間際に何を思っただろう? きっと子供のことに違いない。私だって、親を亡くしたときより、子供に先立たれた今のほうが辛いもの

小式部内侍はお産で亡くなってしまったので、和泉式部にとっては孫の誕生を喜ぶ間もなかったことでしょう。

彼女の嘆く声が聞こえてきそうな、悲痛な歌ですよね……。

土佐日記でも「うまれしも かへらぬものを 我がやどに 小松のあるを 見るがかなしさ」と詠まれていますし、もともと乳幼児の死亡率が非常に高い時代ですから、小さな子供が亡くなることは珍しくないことです。

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それにしたって悲しいのに、長じて安心したところで先立たれるのは、また別の悲しみが加わるでしょう。

和泉式部は孫の成長を見るたびに、嬉しさと悲しみが交互にやってくるような心持ちだったに違いありません。

 

全国各地に「お墓」や「地名」がある

その後は仏教に帰依したようですが、亡くなった場所についてはいくつか説があります。

北は岩手県から南は佐賀県まで、和泉式部のお墓であるとされるものや、地名に彼女の名がそのまま残っている場所は数多く存在します。

一女房・一歌人としては少々不可解なほど。

おそらく、彼女の伝説を語り継いでいった旅人や、彼女を尊敬する人の話と混同されているのでしょうけれども。

我に誰 あはれをかけむ 思ひ出の なからむのちぞ 悲しかりける

【意訳】私が死んだ後、誰も思い出してくれなくなるのだと思うととても悲しい

しのぶべき 人もなき身は ある時に あはれあはれと 言ひやおかまし

【意訳】私が死んでも、誰も哀れんではくれないだろう。生きている間に、自分で自分へ”かわいそうに”と言っておこうか

和泉式部はこんな歌も詠んでいますので、本当はものすごく寂しがりな人だったようにも思えます。

どこが本当のお墓にせよ、もしくはどことも知れぬところで死んだにせよ、「千年たっても忘れられておらず、むしろ魅力を感じている人が多いのだ」ということが、彼女にとって一番の供養になるのかもしれませんね。

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【参考】
国史大辞典
和泉式部/wikipedia
やまとうた

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