奈良の大仏

東大寺盧舎那仏坐像

飛鳥・奈良・平安

人災 天災 トラブル続出! 聖武天皇が「奈良の大仏」を作った切ない時代

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江戸時代に堀直寄が作った上野大仏

一つは、上野公園にある「上野大仏」。

江戸時代初期に、堀直寄(ほりなおより)という大名が建てた釈迦如来の像です。

上野には徳川家の菩提寺・寛永寺ができる前にいくつかの大名の菩提寺があり、堀家もその一つでした。

戦国時代の死者を弔うため、この場所に作られたものでしたが、その後、地震や火災によって大仏本体もお堂も再建を重ね、安政の大地震でついに頭部が破損。

それでもなお堀家の寄進で修復はしましたが、ついに関東大震災では頭部が落下するという洒落にならない状態になります。

寛永寺が胴部を保管し、修復のめどが立たないまま戦時中に供出されてしまい、無残にもお顔だけが残されました。

そして、昭和の間に再建を願う祈願等が建てられながら、結局、お顔だけをレリーフとして残すことが決まり、今日に至っています。

お顔だけが残ったことから「これ以上落ちない」というへりk……もとい発想の転換により、受験生やその両親が参拝に来ることが多いとか。

また、JR東日本のポスターにも採用されたことで一部で話題になりましたね。

「上野でいちばん大きな顔してるのは、西郷さんだと思ってた」

そんなキャッチコピーが秀逸で思わず足を止めてしまう方もいるとか。たしかに遊び心のある宣伝ですよね。

 

首だけで3メートル 途中で金が足りなくなったから

もう一つは、和歌山市にある「無量光寺の首大仏」です。

無量光寺の首大仏/photo by 663highland wikipediaより引用

なんだかホラー映画や怪談にでも出てきそうなお名前ですが、こちらは壊れて首だけの姿になってしまったのではなく、「デカいのを作ろうと思ったら、お金が足りなかった。仕方がないので首だけ祀ることにした」(超訳)という経緯だそうで。

なぜ作る前に気付かなかった(´・ω・`)

首だけで3メートルあり、ほぼ同じ高さの坐像を作ることもできたのではないかと……。

元々大福寺という別のお寺にあり、そのお寺が安政の大地震で全壊ののち廃寺になってしまったため、無量光寺に移されたとのことです。

こちらも「首から上にご利益がある」とされ、やはり受験生がよく参拝しに来るそうで。その理屈で行くと、脳や心の病気にもご利益あるんでしょうか。

まあ、そもそも仏様ですから、現世での姿形にはこだわらず、信ずる者にご利益を授けてくださるのかもしれません。

京の方広寺(家康が鐘にケチつけたお寺)にも豊臣秀吉が作らせた大仏がありました。

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慶長伏見地震で壊れてしまったとき、秀吉が「自分の身すら守れない大仏とかナメてんのか!」(超訳)とブチ切れて矢を射掛けたといわれています。

当時秀吉は60歳くらいですし、立場からしても自分で弓を引いたかどうかはアヤシイですけれども。

その後、豊臣家がどうなったかを考えると……やっぱり仏像は大切にしたほうがよさそうです。

まあ、宗教や大きさにかかわらず、モノは大切にしないといけませんけどね。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
上野経済新聞(→link
東大寺盧舎那仏像/Wikipedia
大仏/Wikipedia
上野大仏/Wikipedia
無量光寺の首大仏/wikipedia

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