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宮廷の記録と人間観察が二本の柱
この日記は、大きく分けて二つの柱があります。
一つは彰子を中心とした宮廷の人々や宴・行事などの記録。
五節の舞(宮中儀式のひとつ)などの年間行事の他、紫式部の周辺で起きたちょっとした事件、公家の男性たちとのやりとりなどが、実にリアルに書かれています。
衣装の色や名称に関する記述も多いので、手元に日本の伝統色の史料などがあるとより想像が膨らむでしょう。
最近はインターネット上でも見られるサイトが増えてきましたので、ブックマークしておくのも良いかと。
もう一つは、自身を含めた人間観察や推測です。
かの有名な清少納言への批判も含まれていますが、それよりも紫式部は同僚の女房たちを褒めている記述や、自分の気鬱について頻繁に記しています。
この辺は、源氏物語でさまざまな人物の描写に活かされていますね。
もちろん、主人である彰子についてもよく書いています。皆さんご存知の通り、彰子は父のゴリ押しで中宮になった人ですが、それに奢らず控えめでおっとりした性格でした。
産前の宿下がり中の彰子について、紫式部は「身重の体は辛いものなのに、それを表に出さずに、いつも通りにしておられる。このような方には、自分から志願してでもお仕えするべきだと思う」というようなことを書いています。
彼女が娘を産んだときは体が成長しきった後でしたが、彰子はまだ若く、心配だったのかもしれません。
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エッセイストと小説家の違い
当時の常識的に仕方のないことなのですが、紫式部の周りには「女性が漢籍を読むのはいただけない」という価値観の人が多かったらしく、そういう人の目を気にして、日頃は漢文には触れないようにしていました。
しかし、彰子が「漢文を学びたい」と希望したときは、こっそり手解きをしていたといいます。
また、彰子は源氏物語をいたく気に入り、一条天皇に披露した人でもありました。
紫式部にとって、彰子はただの主人ではなく、弟子であり恩人だったのです。
そのためか、紫式部が彰子を見ている目線は、愛弟子を見守っているような印象を受けます。
対照的に、清少納言が枕草子の中で藤原定子を褒めているときは、アイドルに黄色い悲鳴を飛ばすような、ものすごくテンションが高い感じがしますね。(※どちらも個人の感想です)
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紫式部にも「あの人はちょっと」と思うような相手はいたようですが、それはあえて書かないと自分で記しています。宮仕えでは手紙や日記などを他の人に読まれることも珍しくなかったので、用心していたのでしょう。
清少納言が一人称視点で随筆を書いたのに対し、紫式部は三人称視点で自身の心中を含めた宮廷の日々を記した……といえるのではないでしょうか。
エッセイストと小説家の違いともいえそうです。これは優劣の問題ではなく、得意分野の差異でしょう。
源氏物語を原文・現代語訳で読んだ方はもちろん、『あさきゆめみし』などのマンガ版で親しんだ方、これから源氏物語を読んでみようという方。
『紫式部日記』(→amazon)でより深くストーリーを味わってみてはいかがでしょうか。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典「紫式部」
紫式部/山本淳子『紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス Kindle版』(→amazon)