鴨長明方丈記

下鴨神社に復元された「方丈」

源平・鎌倉・室町

『方丈記』って災害ノンフィクション? 日本三大随筆を比較してみた

建暦二年(1212年)3月30日、日本三大随筆の一つ『方丈記』が完成しました。

著者は鴨長明。

なぜこの日に完成したのがわかるのか?

本書の末尾に「弥生の晦(つごもり・末日のこと)頃これを記す」という記述があるからなんですね。

ちょっとしたマメとして飲み会の場で披露して……ウザがられたらゴメンナサイ(_ _;)

まぁ『方丈記』はさほどに日本人の間では知られた存在だと思います。

なんつったって書き始めが最強に美文です。

ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。

流れに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて久しく留まりたる例しなし。

いかにも無常観漂い、これぞ「THE・古典!」という雰囲気ですよね。

しかし『方丈記』の内容って、その大半は

・天災の記録

・長明の雑感(というか愚痴?)

で占められているのをご存知でしょうか?

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この無常観ってやつはアリなのか?

若かりし頃、古文か歴史の授業で「方丈記は文庫本一冊くらいだから、一度、全部読んどけ」と言われませんでした?

今こうして読み返すと、この無常観ってやつはどうなんだ?アリなのか?といささか戸惑ってしまいます。

構成としては、「ゆく河の流れは絶えずして」の書き出しから少し仏教的なものの見方に関する話が来て、災害の記録に移り、その間に見たほかの人々に対するダメ出しをした後、なぜか自分の住んでいる庵(小さな小屋)の紹介をしてグチりながら終わります。

こう書くと身も蓋もないですが、ホントにこうなんだからしかたない。

 


源平合戦ですっかり気持ちがダウン

鴨長明が生きていた時代は平家の勃興&凋落と鎌倉幕府が成立した頃でもあります。

歴史ではその流ればかりが注目されますが、実は非常に災害の多い時期でもありました。

同じ年に起きた主な出来事と並べると、ざっとこんな感じです。

◆安元三年(1177年)
・安元の大火
・平家打倒の計画が失敗

◆治承四年(1180年)
・治承の竜巻
・平清盛が福原にムリヤリ遷都

◆養和元年(1181年)
・養和の飢饉
・清盛がお陀仏

◆元暦二年(1185年)
・元暦の地震
・平家滅亡/(^o^)\

なぜ平清盛は平家の栄華を極めながらすぐに衰退させてしまったのか

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このころ長明は、相続争いに敗れて落ちぶれていました。

そもそも『方丈記』という書名の由来が、京都の郊外に作った「方丈の庵」=「四角い小さな小屋」でひっそり暮らしていたことにあります。

彼は神社の出身だったので「俺は由緒正しい生まれなんじゃい!」という気負いがあり、成り上がり者だった武士で、しかも平家が大嫌いだったのですね。

方丈記には平家をディスった部分がたくさんあります。例えばこんな記述があります。

【意訳】「あんなに災害があって苦しい思いをしてきたのに、今のヤツらはすっかり忘れてのほほんとしてやがる。人間ってのはあさましく懲りない生き物だ」(超訳)

なんだか誰にも注目されないオジサンツイッタラーの苦言に感じてしまうのは私だけでしょうか……。

 


災害記録は評価に値する

しかも長明自身は放言するだけ。

他人のために何かするでもなく、山奥に一人だけ隠れ住んで「ここだけは安全で、何の心配もない」と書いてます。

とても出家した人の言うこととは思えません。

話が前後しますが、仏の道に入って修行してたときでさえ「5年修行したけどちっとも悟り開けそうにないからやめるわ」(超訳)なんて言っております。

お釈迦様だって6~7年の修行+αの努力でやっと悟りを開いた――というのに困った困った。

正直、古典を読み返して「(゚Д゚)ハァ?」と憤ってしまったのは初めてです。なんで昔に気付かなかったのかなぁ。

ただし、そのお陰で当時の災害の様子が残されていたとしたら、その意義はあるんですよね。

そこは評価せねばなりません。

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