平宗盛

平宗盛/wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

平家滅亡の原因は凡将・平宗盛の責任か? それとも清盛の驕りか?

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平宗盛
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墨俣川の戦いで勝利→調子こいて大ポカをやらかし

清盛の死後、平家の棟梁になった宗盛は、まず後白河法皇に恭順する姿勢を見せました。

その一方で、父の遺言に従って源氏追討を主張することも忘れませんでした。

ただし、墨俣川の戦いで勝って美濃・尾張を掌握してしまったがために、一旦東国から目を離し、兵を西国へ向かわせるというどでかいミスをやらかします。

その間に、平家の地盤があった北陸を含め、東国はあっという間に源氏+αの優勢となってしまいました。あーあ。

源行家
源行家(頼朝の叔父)が「墨俣川の戦い」でフルボッコにされた残念な理由

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というか「東西や南北といった両サイドに敵がいるときは、どちらかを完全に倒さない限り転進してはいけない」というのが戦のセオリーですよね。

そもそもそういった状況に陥るのを防ぐものですが。

ちなみに西国は西国で平家に対する反乱が起きていたので手こずりまくり、さらに兵糧にも困るというgdgdぶりでした。

もうどうあがいても勝てる気がしません。

そして10万騎ともされる大軍(実際は数千から1~2万か)を送った北陸では、倶利伽羅峠の戦いで木曽義仲にボロ負けしてしまい、平家一門揃って京都から逃げ出します。

源義仲・木曽義仲・木曾義仲
源義仲(木曽義仲)が平家討伐で大活躍! 最期は義経に討たれた生涯31年

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安徳天皇や建礼門院も一緒でした。

どう見ても人質にしか見えませんが、既に求心力ゼロどころかマイナスになっていた平家に付き従う貴族はおらず、ますます悪あがきっぷりが際立ってしまいました。

 

平家物語でボロクソに書かれてしまう

宗盛としては大宰府で体勢を立て直すつもりでいました。

が、これも失敗。

白河法皇も「もうあいつら知らん」とさじを投げ、義仲に平家追討を命じます。

ここでビミョーに運の良いことに、源氏内で仲間割れが起きたため、瀬戸内海の屋島・彦島で足固めをすることができました。

義仲と宗盛の間で一時和平案も出されました。

が、お互いに信頼しきることができず、実現しないままに終了。

ここで和平を取り付けられていたら、平家の血筋は残り、義仲も大手を振って源氏で重きを成すことができたのでしょうね。

現実には皆さんご存知の通り、義仲は範頼・義経兄弟に打たれ、平家は

を経て滅びてしまっています。

ここからが平家物語で宗盛をボロクソに書いている部分です。

「壇ノ浦の戦いで平家の主だった人物が海に身を投げたとき、宗盛は命を惜しんで逃げ回っていたので、呆れた味方が突き落とした。しかし宗盛は泳ぎがうまかったので助かってしまった」

という話です。

実にみっともなく描かれております(´・ω・`)

 

皆の前で命乞い!って、そりゃ嘲笑されるやろ

宗盛は、息子・清宗とともに義経によって鎌倉へ護送され、頼朝の前に引き出されました。

このとき源頼朝は御簾の内側にいて、息子・頼家の舅である比企能員(ひきよしかず)を通して会話したといいますから、かなりの屈辱を感じたことでしょう。

源頼朝
源頼朝 史実の人物像に迫る!出生から鎌倉幕府の設立 死因まで53年の生涯

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しかも周りにはかつて平家に仕えていた者も集まっており、その前で宗盛は命乞いをしたため、周りから嘲笑されたといわれています。

確かにみっともないといえばみっともない話ですが、既に末路が見えている人に対してよってたかってヒドイ。

似たような話として、関ヶ原の後に捕らえられた石田三成への反応がありますね。

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しかし、宗盛は鎌倉では死んでいません。

清宗と一緒に、再び京都へ送り返されています。

「かつて源義朝が家来に裏切られて殺された、尾張内海で処刑されるのだろう」と思っていたそうですが、そこを通り過ぎたので、わずかな期待を抱いていたとも言われています。

この時点では(も?)息子のほうが冷静で、清宗は「そんなわけはない。もう夏だから、もっと京に近づいてから斬られて、首をさらされるに違いない」と思っていました。

しかし、父が少し明るい顔になったところへそんなことを言ったら、追い討ちをかけることになってしまいます。

ですから、清宗は黙っていました。

 

斬首された首が京へ送られ、市中引き回し

果たして清宗の予想通り、近江篠原というところで宗盛は息子と引き離されます。

そこで宗盛も流石に悟り、「これまで恥をさらしてきたのも、息子のことが気にかかって仕方なかったからだというのに、あんまりな話だ。たとえ首を打たれても、体は同じむしろに横たわろうと約束していたのに」と嘆きました。

が、時既に遅し。

まず宗盛が首を落とされ、その様子を聞いた後で清宗も同様に処刑されました。

二人の首は京都に送られ、市中を引き回されたといいます。それは前例のないことでした。

生きてからも死んでからもこのような屈辱を味合わされたとなると、壇ノ浦で果てていたほうがよかったかもしれません。

妻や息子に対する情の深さからして、もしもっと平家が安定していた状態で家を継いでいたら、宗盛への評価は違ったものになっていたのではないかと思います。

将としての能力がイマイチだったことはともかく、家庭人として良い人だったことは間違いないですし。……甘すぎますかね?

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
安田元久『鎌倉・室町人名事典』(→amazon
平宗盛/Wikipedia
日本古典文学摘(平家物語)(→link

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