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【八重】
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侍女たちが止める間もなく身投げして
可愛い盛りの息子を実の父に殺され、愛していた男性に裏切られ――八重姫の傷心は、うかがい知ることすらできません。
北条邸を離れ、しばらく歩いた「真珠が淵」というところで、座り込んでしまったといいます。
侍女たちも悔しいやら悲しいやら、主人の身の上が哀れで涙を流していたとか。
一通り涙を流し終われば、「これからどうすべきか」という視点も出てくるものです。
しかし、このときの八重姫はそうではありませんでした。
彼女は不意に走り出し、水へ身を投げてしまったというのです。
侍女たちが止める間もなく、文字通り”あっという間”のことだったとか。
やがて八重姫の体が浮き上がり、主人が本当に死んでしまったことがわかると、侍女たちは
「とにかく、このことを祐親様にお知らせしなくては」
と考えました。
そこで一人が伊東の邸に走ります。
残された数名も、八重姫と同じような気持ちになったものか。
使者になった者が戻ってくる前に、主人の後を追ったそうです。
地元の人々はこの主従の身の上を憐れみ、石碑や塚、お堂を建てたとか。
八重姫の悲劇は、頼朝との価値観の隔たりにも大きな原因があるかと思います。
都育ちで源氏の御曹司である頼朝からすれば、より多くの男子を得るため、複数人の女性と同時に関係を持つことはごく当然なこと。
しかし、伊豆の地で生まれ育ち、一夫多妻制というものに馴染みがなかったであろう八重姫にとっては、”重大な裏切り”にしか思えなかったでしょう。
また、この時代は婿取婚と嫁取婚が混在し始めた頃でもありました。
頼朝の近辺でも、どちらにするかで揉めたケースが起きています。
八重姫の件からすると未来のことですし、直接の関係はないのですが、当時を知るための余談として、ご紹介しましょう。
時代の節目と育ちの違いが不幸を産んだ?
吾妻鏡にもたびたび登場する一条能保。頼朝の妹の嫁ぎ先で、頼朝とは義兄弟にあたります。
その能保の娘(頼朝からみると姪)が結婚する際、
「しきたり通り婿取婚にしたい」とする九条家(夫側)と、
「婿殿のために邸を用意する資金がないので、嫁取婚にしていただきたい」とする能保&頼朝との間で、若干の口論になりました。
婿取婚の場合、婿が妻の家に通い、しばらくしてから家を用意して独立……となるケースが多数派です。
しかし、これは妻側の資金が潤沢であることが絶対かつ前提条件となります。元々公家社会の習慣ですから、当然といえば当然ですね。
九条家側はしきたりや面子を重んじていましたので、婿取婚にしてほしかった。
この件が載っているのは当時の九条家当主・九条兼実の日記「玉葉」なのですが、兼実は
「嫁取婚などというものは唾棄すべき悪習だ」
とも書いており、嫁取婚を相当に嫌っていたことがわかります。
結局この件は、九条家側の要求通り、婿取婚の形で決着しました。
そして、ほぼ同時期に兼実と能保の関係が悪化しています。他にも理由はあるかと思いますが、おそらく関係悪化の一因になったのでしょう。
話を八重姫に戻しますと、
結婚の形態自体が移り変わりつつある時期
+
育ちの違い
という二重のギャップに、彼女は直面したわけです。
もし祐親が
「子供ができたからには仕方がない、何とか皆で生き残る道を考えなくては」
というように考え、八重姫と頼朝の仲を認めたとしても、いずれどこかでぶつかる可能性が高かったのではないかと思います。
生存説もあるけれど
最終的に頼朝の妻となる北条政子にしても、「嫉妬深くておっかない性格」と語られることが多いですが、そもそも結婚に対する価値観が異なっていました。
政子の場合、はっきり自己主張をするタイプでしたので、全体的にみるとうまくいったのでしょう。
吾妻鏡には
「頼朝様がこっそり女性のところに行きました」
という件はたびたび書かれていますが、”婿取婚の習慣があるところで育った人”にしては、かなり頻度が少ないと思われます。
八重姫はおそらく、日頃からおとなしくて、あまり物をはっきり言えないタイプだったのではないでしょうか。
自分の意志がないわけではないのに、
「人と衝突するより、自分が耐えて済むのであれば、そのほうがいい。真心を持っていれば、いつか報われるかもしれない」
そんな風に考える人だったのではないでしょうか。
「八重姫は、頼朝と別れさせられた後、別の家に嫁いで生き延びた」
「千鶴丸も実は生存していた」
そんな話もありますが、研究がさほど進んでいないようで、内容からして「うーん……」という印象です。
気になる方は、こちらの本をご覧になるのが良いかと思います。
◆伊東まで『八重姫・千鶴丸考』(→amazon)
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