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家康の天下統一最終モード・大久保長安事件!まんが日本史ブギウギ183話

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後日譚

 

将棋好き

◆大久保氏は、家康にとって非常に関係の深い一族です。

その団結の強さで「大久保党」とも呼ばれ、三河時代から常に粉骨砕身、徳川のために働き続けてきました。

大久保忠隣は、そんな大久保一族で中心的存在(父は大久保忠世)。

徳川秀忠を二代目将軍に推し、江戸幕府でも重要なポジションを担っていく――そう思われた矢先に起きたのがこの【大久保長安事件】でした。

敵対する本多正信本多正純らの手により長安一族の処分が進められ、その後は忠隣が、自らの不手際などもあり、慶長19年(1614年)1月19日、ついに改易へと追い込まれてしまいます。

要は、本多親子との権力闘争に負けたのですね。

上記マンガのように、旅館で将棋を指していたのは同年1月25日のこと。

改易に処された忠隣は、その後、近江上笠村(現草津市)や彦根で隠居生活を送ることとなりました。

彦根はご存知、井伊直政に任せられた近江の重要エリアであり、忠隣は、その息子・井伊直孝から何度も再出仕をすすめられます。

忠隣は潔白であるから名誉を取り戻すべき――。

直孝からそう言われるたびに忠隣は、こう答えたと言います。

今さら私の無実を証明しても、亡き家康の過誤を公にするだけ。

主君の恥を公言するのは臣下として不忠の極みである。

そして大久保長安事件から15年後の寛永5年(1628年)6月27日。

忠隣は、最期を迎えました。

享年76。

徳川政権樹立の功労者にしてはあまりに寂しい、されど見事な引き際だったのかもしれません。

続きは次週へ。

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著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休

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