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受験

東大でエリート広告マンと女子高生と本郷和人教授と学ぶgacco対面授業ルポ

更新日:

4月14日に始まった「gacco」の本郷和人先生の「日本中世の自由と平等」の講座。

 

現在「Week1. 歴史学とは何か?」のWeb講義とテスト、そして「Week2.「Week2. 歴史のあるべき・ある論」のWeb講座とテスト、

というところまで来ました。

とうとう本郷教授と赤門前?でご対面!

 

そして「反転学習コース」を選択している受講生は、4月26日(土)、いよいよ東京・本郷にある東京大学で、実際に本郷先生とお会いして、対面授業を受けたのです!

 gacco赤門

↑ 5月の新緑が美しかったです。

 

東大と言えば、元、加賀藩主・前田家上屋敷!(←そこかよっ!)

赤門! 元加賀藩主・前田家上屋敷、御守殿門!

 

幕末の加賀藩を舞台に描いた映画『武士の家計簿』では、

主人公の“ソロバン侍”(堺雅人さん)の父親(中村雅俊さん)が、

「文政10 年、第13代藩主・前田斉泰公が、第11代将軍徳川家斉の第21女、溶姫様をお迎える際に造られたもの~」

と何度も何度も自慢していましたっけ。

 

やっぱり風格あるなあ……、と惚れ惚れとしました。(←赤門に)

 

そして東大構内に入り、会場の福武ホール、ラーニングシアターへ。

 いかめしい内田ゴシック(^^♪ 様式の校舎が立ち並ぶ中、この建物だけは新しくてピカピカです。

 

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なんとマスコミも殺到する教室に私も本郷先生も緊張!

ホールの前には、エリートサラリーマンっぽい雰囲気を漂わせているドコモの方らしきスタッフ、そして、やっぱり「gacco」という新しい試みが注目されてか、大勢のマスコミらしき取材の方々も!

 ちょっと緊張 (・・;)

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 女性が多くて男性は若めだった

会場を、ざっと見渡すと、170人くらいいたのかな?

受講者は10代から80代までいるということでしたが、女性は30~40代後半が多いような?

男性は60代、50代らしき方もチラホラいましたが、30代、20代が多かったような気がします。

思っていたより女性が多く、男性は若い方が多いな、

という印象でした。

 gacco教室

 

 ↑ 教壇の前で時計を気にする本郷先生(編注・受講者にはモザイク処理しています)

 

そして私達より緊張しているご様子の本郷和人先生も、教壇に立って、時間が来るのを待っていますよ!

 

エリート広告代理店の男性と東大目指す京都の女子高生とグループに

授業は、近くに座った4人一組が1グループとなり、本郷先生が提示したテーマについて、討論して発言する、という形式でした。

 

私のグループは、1人は欠席で、1人は広告代理店のお仕事をしている30代(らしき?)男性、そして京都の超進学校に通う高校生の女の子でした。

京都から、来たの!?

 と驚きましたが、このgaccoの「反転学習コース」は、多分4分の1が高校生で占められているようです。

だいたい各グループに1人、高校生がいました。

 

その女の子は東大進学を目指していて、今回は大学見学も兼ねていたそうです。

東大を目指しているだけあって、目のキラキラした、超出来る女の子でした。

京都の賢い女子高生のイメージ(たかはしアニィ「戦国ブギウギ」より*編集部のイメージです)

京都の賢い女子高生のイメージ(たかはしアニィ作「戦国ブギウギ」の細川ガラシャより*編集部のイメージです)

 男性も、ギョーカイでバリバリ働いている方らしく、快活で、頭は良いし仕事はできるし、という感じの方でした。

できる男のイメージ(織田信長、たかはしアニィ作「戦国ブギウギ」より、*編集部の勝手なイメージです)

できる男のイメージ(織田信長さん、たかはしアニィ作「戦国ブギウギ」より、*編集部の勝手なイメージです)

 本郷教授の本職が明らかにされる!

さてさて、いよいよ時間となり、約2時間の授業が始まりました。

まず本郷先生の自己紹介です。

 

本郷教授(絵・富永商太)

本郷教授(絵・富永商太)

 

え? 東大教授は世を忍ぶ仮の姿で、本業はAKB評論家?

そ、そうだったのですか?

(いや、そこ、笑うところだったようです)(^^ゞ

 

権門体制VS東国国家でディスカッション

そして、Web講座でも取り上げられている「権門体制論」と「東国国家論」についての講義になりました。

 

「権門体制論」というのは、京都大学の黒田俊雄先生がおっしゃった考え方だそうで、

「中世においても、日本は一つだった。天皇(王家・上皇)が上にあり、その下に政治を行う貴族(公家)、軍事・治安を行う武士(武家)、祭祀を行う僧侶(寺社家)がいる」

という考え方。

学会では、70~80%の学者さんがこちらを支持しているそうです。

 

「東国国家論」(複数国家論)は、東京大学の佐藤進一先生がおっしゃった考えで、

「実は日本って、一つじゃなかったんじゃないの?」

という考え方。

中世の日本は、「将軍と武士の国の鎌倉」と「天皇の貴族の京都の国」の2つに分かれていた、という考え方なんだそうです。

 さらに五味文彦という先生(元東大教授、現在放送大学教授)も、「東と西、2つの王権があった」と言い、奥州平泉を考えると、

「北、東、西、3つの王権があった」

ともおっしゃったそうで、

別名、「複数国家論」とも言うそうです。

 

こちらの考え方を支持する学者さんは少ないそうですが、でも本郷先生は、こちらを支持していらっしゃるそうです。

 

どうしてそう思うの?

 

そこで佐藤進一先生が「東国国家論」の証拠とした文書を実際にみんなで読みながら、グループディスカッション、

「東国国家論」だと思う? 「権門体制論」だと思う?

ということを後で発表する、という風に、授業は進んでいきました。

争いを裁くのは誰か? 

 

最初は鎌倉時代の中期に起きた「薪・大隅荘の論争」という事件についての文書です。

 

「鎌倉時代の中期、1235年(嘉禎元年)5月に、京都の大寺院、興福寺と石清水八幡宮の所領(荘園)が、用水の権利を巡って、争いを起こしたんですね。

それで、争いはだんだんとエスカレートして、そのうちお互いを攻撃しあうんじゃなくて、調停にはいった朝廷(シャレ?)に対して、強気の要求を突きつけるようになったんですね。

当時の朝廷の最高責任者は、幼い四条天皇の祖父、摂政の九条道家という人。

6月に石清水八幡宮が出した『大国を八幡宮の知行国にせよ』というムチャクチャな要求に、仕方がない、自分が犠牲になってこの事態を収拾しよう、と、『九条家の所領の伊賀国大内荘を、八幡宮に寄進するよ、それに八幡宮の境内に、三昧堂も新築してあげるよ』と言うんです。

だけど傲慢な石清水八幡宮は、この申し出を一蹴!

僧兵や神人を使った強大な軍事力(強訴)でもって、京都を威嚇して、乱暴を繰り返したんですね。

困った九条道家は、6月末に、『わかったよ、因幡の国という大国を八幡宮に寄付するよ』と言います。

しかし、これには興福寺側がブチ切れるんですね。当然ですね。

同年12月に、『石清水八幡宮の別当を辞めさせろ』と言って、こちらも強訴で京都を威嚇したんです。

九条道家は、お気の毒に、お正月も返上して調停に奔走したんですが、うまく行かず、1236年1月に、八幡宮の別当の解任と、因幡の国の寄付を取りやめます。

だけど同年7月、またまた興福寺が『八幡宮の処分が遅い!』とイチャモンをつけ、『また強訴を起こすからねー!』と準備を始めたんです。

ジリジリと緊迫の度合いが増す中、ついに、ついに、10月に鎌倉幕府が介入、京都の六波羅探題が動いて、これらを武力で制圧!

ついに興福寺は屈服し、強訴に威嚇されていた朝廷はようやく平穏を取り戻しましたとさ、というお話でした……」

(ちょっと、本郷先生の口調を真似してみました (*´∀`)

 

 クリミア情勢と似てるような日本中世のヒャッハー事情

 

このように、反目する勢力同士が、争い合うことで朝廷を恫喝し、利益を得るというやり方は、

延暦寺と三井寺、高野山と根来寺などでもあったそうです。

 

実は朝廷は、後鳥羽上皇の承久の乱の敗北により、直属の軍を失っていました。

大寺院の強力な武力を鎮圧させることができたのは、結局幕府の軍事力でした。

 

「これって結局、朝廷は、“隣国”の鎌倉幕府に助けを求めて、解決したってことなんじゃないの?」

これが「東国国家論」(複数国家論)らしいです。

 

なんか、今のクリミア情勢と、似てなくもないか?

(*「ロシアのクリミア半島侵攻 その歴史から振り返る【その日、歴史が動いた】」

 

でも、私のグループは、

「権威が失落したといっても、やっぱり朝廷が権限を持っているから寺社は強訴を起こして、様々なことを要求してきたんじゃないの?」

ってところにひっかかり、ハテナ? となりました。

 

それに、「東国国家論」と「権門体制論」。

一方は国家論で、一方は体制論。

ここでいう“国家”というものの定義についても様々な解釈があるし……? ということでも迷いました。

 ちょっと細かく考え過ぎ???

 日本初の幕府は平清盛でしょ

さて次に、『平清盛の軍事政権を幕府と呼ぼう』という考え方について。

 

『1161年頃、平清盛(当時は中納言)が、日本のすべての武士をまとめあげることに成功、清盛は武力をもって天皇(上皇)に仕え、六波羅幕府が成立した。』

      ……これは「権門体制論」になります。

 

『1179年、その後、平清盛はクーデターで後白河上皇を閉じ込めて政治権力を奪い、平家による政治運営を行った。

この頃、平家の本拠地は福原(現在の神戸市)にあったので、福原幕府と呼ぶことができる』

      ……これは「東国国家論」(複数国家論)になります。

 

このような史料を元に、

「権門体制論」と「東国国家論」について理解し、自分達で色々と考えてみよう、という感じで進んでいきました。

 

分かったこと!本郷先生の肌はきれいだったw

途中、本郷先生も積極的に会場内を歩きまわり、それぞれのグループの質問に答えてくださったりして、

身近に本郷先生にお会いでき、感動でした。

思っていたよりお若い、それにお肌が綺麗でしたよ。(・∀・)

 

結局、中世の日本の姿については、6割くらいのグループが、「東国国家論」支持、4割くらいが「権門体制論」支持、という感じで、それぞれディスカッションしました。

 

私のグループは、「権門体制論」を支持しましたが、まー、色々な考え方があるんだなー、と思い、大変勉強になりました。

 

懇親会で大変な事件が勃発?!

その後、1時間ほどの立食形式の懇親会があったのですが、私は用事があったので、急いで移動。

 

しかしその時の様子を本郷先生自らがTwitterでつぶやいておりまして、どうも、ねちねちと質問する受講生に、本郷先生、ブチ切れてしまったご様子。

 

な、何があったんだ!? ((((;゚Д゚))))

 

うわ、いなくてよかった、と思う反面、いや、ここは取材しておかなきゃいけなかったか、とも反省。

 

他の受講生の皆様は、私なんかとは違い、とてもレベルが高かったと思います。

 

ピカピカの生きのいい高校生から、

実社会でバリバリ働いている歴史好きの社会人、

結婚、子育て、家事、介護、など、人生経験豊富な歴史好き主婦、

現役を退いた後、有り余る時間を好きな歴史に没頭しているシニア層、

それぞれ、歴史に対する深い愛があり、ついつい熱くなってしまったのでしょう。

それほど白熱した授業だったと言えると思います。

 

もしかしてgaccoは、先生と学生ばかりの大学に、風穴を開ける黒船か?!と思ったりして。

 

naoko・記

 

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本郷先生のツイッター

 

 

 





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