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唐が攻めてくる!? 1,300年前に築かれた幻の城「屋嶋城」 を訪ねた! 【艦これブログ~番外編】

更新日:

今回は表題のとおり番外編となります。

まずは読売新聞の記事(引用)を御覧ください。

高松市の屋島で復元工事が進んでいた古代山城「屋嶋城(やしまのき)」の城壁が完成し、15日に報道陣に公開された。7世紀後半に築城された記録が残るが、遺構が確認できず「幻の城」とも呼ばれていた。市の担当者は「古代東アジアの歴史を体感できる重要な施設。歴史ロマンに思いをはせてほしい」と話している。

屋嶋城 城壁現る : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

てなわけで上記の屋嶋城が20日に一般公開され、愛媛・松山からはるばる香川・高松まで行ってきましたのでご報告いたします!

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「『はるばる』って言っても、たかが隣の県じゃん?」と思われるかもしれませんが、四国って割と山がちで、隣の町・県が互い引隔てられていて、とても遠く感じるんですよね。香川・徳島は割と近いですが、高知なんかは絶望的に遠いです。松山=高松の場合は、電車(予讃線特急しおかぜ、徳島・高知の方と違って、ちゃんと電気で走ります!)で2時間半ぐらい、片道6,000円ぐらいかかります。新幹線なら東京から静岡辺りまで行けますな。高知だったら1万円・4時間越えですかねぇ……。

長曾我部元親、もっと評価されてええと思うわ!

 

「屋嶋城(やしまのき)」ってなに?

それはそうと、「屋嶋城(やしまのき)」って初めて聞く方も多いのではないのでしょうか。

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「屋嶋」とは、源平合戦で名高い「屋島」のこと。山を水平に斬り飛ばしたかのような独特の地形をしており、上からは瀬戸内海に浮かぶ島々、周りを航行する船、背後に控える高松の平野が一望できます。それでいて、麓には船を隠すスペースもアリ。軍事素人の僕でさえも「あー、これ、お城にしたいなぁ(ちょっと小勢だとデカすぎるし、上り下りめんどいけど」と思うほどの立地で、平家の皆さんが四国の拠点にしたのも「むべなるかな」って感じです。

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ちなみに、当時はまだ陸とは繋がっておらず、本当の「島」でした(www.city.takamatsu.kagawa.jp/4727.html)。

その時代よりさらに遡ること500年、天智天皇6年(667年)に「屋嶋城」は築かれました。目的は、唐の侵略に備えること。

当時の情勢を説明しますと――日本は天智2年(663年)、滅亡した友邦・百済を救うため、800余りの軍船を送り出しましたが、白村江で唐・新羅連合軍に敗れました。そのあとの朝廷の対応を見るに、大惨敗と言っていいほどの敗北だったようです。

日本軍は船の数でこそ少し優ってたものの、唐軍にくらべて船のサイズでは劣り気味で、火玉を打ち出す射石砲に至っては手も足も出ないありさま。戦術が稚拙であったこともありますが、国力を総動員して作り上げた大艦隊でさえも、相手にほとんど傷すら付けることができなかったのです。

これに天智天皇をはじめとする首脳部は戦慄しました。

古くからの日本の外交方針は、任那を橋頭堡に、百済・新羅とうまくやりながら高句麗の脅威を抑えるというものでした。しかしすでに任那はなく、百済の復興も難しくなり、高句麗を飲み込んだ大国・唐(+新羅)と対馬海峡を隔てて直接相対することになったのです。そして頼みの綱の海軍は、白村江の戦いで壊滅……。第二次世界大戦で言えば、ミッドウェー海戦とマリアナ沖海戦と沖縄失陥が同時に起こったぐらいのショックでしょうか。僕だったら速攻、家に帰ってガクブル震えていたことでしょう。

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しかし、天智天皇は違いました。対馬・北九州から瀬戸内海を通り、奈良への玄関口・高安山に至るまでのルートに城、しかも当時最新鋭の大陸風城塞を作りまくり、徹底抗戦することにしたのです。「海戦で勝てねえなら、本土決戦だ!」というわけですね。

倭國高安城(やまとのくにたかやすのき)、讃吉國山田郡屋嶋城(さぬきのくにやまだのこおりやしまのき)、對馬國金田城(つしまのくにかなたのき)を築(つ)く

『日本書紀』天智天皇6(667)年11月の条

日本書紀ではこの三つの城しか記述されていませんが、実際にはかなりの数が築かれたことが確認されています。

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しかし、実際の「屋嶋城」の遺構は長らく不明のままでした。なにせ古い城ですし、唐が攻めてこないとわかってからは熱心に維持されることもなかったようです。また、この屋島には唐僧・鑑真が754年に創建したとの伝承をもつ屋島寺(たぬきの像がかわいい)なんかも建てられています。当然、建材の再利用なんかも行われたでしょう。そんなこんなで、どこにどんなふうにあったのかさっぱりわからない“幻の城”になってしまった……ということのようです。

 

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「屋嶋城(やしまのき)」の姿が次第に明らかに

そんな「屋嶋城」でしたが、1998年、地元の歴史愛好家・平岡岩夫さん(御年71歳!)が山中の草陰から高さ約5メートルの石垣を発見したことで調査が大きく前進します。お話を聞くところによると、遺構の存在を信じて麓から歩いて探したとのことで、シュリーマンもビックリの情熱ですね!

そのあと市教委が周辺を調査し、2002年には城門を確認。08年度から復元工事を進めてきた――ということで、今回ようやくそれがお披露目されたのでした。

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それがこれ。他所から石をもってきて適当に積み上げたのではなく、もともとあった崩れかけの石垣を写真に撮り、一つ一つの石をナンバリングし、再び石工さんが組みなおすという、非常に手間のかかった復元になっています。

復元作業を説明したパネル

復元作業を説明したパネル

 

もちろん、安全上再利用が不可能と判断された石や、もともと失われてしまった石などは補われていますが。一度石垣をバラすことにより、基礎となる根石の部分の調査も行われたのだそうです。

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高さは、もともと地中に埋まっていた部分も含めて5~6mほど。下から見上げるとなかなかの迫力です。

こうした調査によってわかった「屋嶋城」の城門の特長は、まず「懸門(けんもん)」になっているということ(写真は 朝鮮の忠州山城(충주산성)より)。

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大陸では古くからある様式のようで、石垣の一部を一段下げることで門としています。平時は木製の階段などを付けていますが、戦時にはこれを落とし、這い上がらないと門にたどり着けなくするのですね。ちなみに「屋嶋城」では2.5mの高さがあります。

城門の弱点といえば破城槌などの攻城兵器が想像されますが、「懸門」ならば石垣の上に門があるので問題なし。断崖絶壁の「屋嶋城」にそんなもの持ち込むとは想像しにくいですが……天智天皇の慌てっぷりが窺えて面白いです。

まぁ、もし唐にメフメト二世(スルタン・トルコ皇帝。三重の防壁に守られた東ローマの首都・コンスタンティノープルを陥落させるために船を山越えさせ、城門の低くて薄い海側に艦隊を送り込んだ)みたいな基地外(褒め言葉)がいれば、やってこないとも限らないですしね。

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「懸門」の下部分には、地下水を輩出するための水口も設けられています。実はこれ、遺構にはないものでした。しかし、水口のための排水溝は残っていたので、おそらくこんな感じだったのだろうと復元したそうです。ここが谷になっていて地下水が集まるっていうのを、昔の人はちゃんとわかっていたのですね。

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「屋嶋城」と同時期に建てられたと思われる「鬼ノ城(おにのき)」の復元城門。この城も懸門をもつ。写真は岡山県総社市のホームページより

 

あと、「懸門」に上屋があったかどうかですが……柱の遺構はあったとのことですが、どんな門が建っていたかはわかるはずもなく、今回の復元では省略されています。

説明してくれた職員さんによると、スマフォをかざしてみると門の想像図が3Dで表示されるAR(拡張現実)を使った復元も検討されているそうなので、期待したいですね。ってか、そんなこと企んでるなんて、高松市教育委員会もわりと IT 強いじゃねーか! やるねぇ!

さて、「屋嶋城」の城門でわかったもうひとつの特長は、「甕城(おうじょう)」をもつことです。「甕城」というのは、正規の城門を守るため、その外側に半円状に築かれた城壁+城門のこと。

 

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『進撃の巨人』のシガンシナ区、といえば最近の若い人には分かりやすいでしょうか。

あんまりお城の構造については詳しくないのですが、日本の城郭で言えば「出丸」(大阪夏の陣の「真田丸」とか)に相当するでしょう。

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「屋嶋城」の場合、「懸門」が破られてもまだ大丈夫な構造になっていました(写真は「懸門」を上から見た様子)。しかも、門を抜けた後、攻城側の兵がL字型に方向転換しなければ奥に進めない仕組みになっていて、守城側はそれを上から狙い撃ちできるようになっています。

横から見た様子。2重の防壁になっているのが分かるかも

横から見た様子。2重の防壁になっているのが分かるかも

 

これは、みんなが大好きな「虎口(こぐち)」とおんなじ構造ですね(虎口 - Wikipedia)。

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「懸門」+「甕城」……めっさ鉄壁すなぁ……。

JR 屋島駅でもらったパンフレット。北嶺と南嶺にわかれた台地構造になっている屋島の様子がよくわかる。「屋嶋城」は南嶺にある屋島寺あたりが中心だったと思われる

JR 屋島駅でもらったパンフレット。北嶺と南嶺にわかれた台地構造になっている屋島の様子がよくわかる。「屋嶋城」は南嶺にある屋島寺あたりが中心だったと思われる

 

もともと屋島はテーブル型の断崖絶壁構造になっていて、弱そうな部分のみをこうした城壁や城門で固めたようです(しかも二重で)。そのため、全域にわたって石垣が巡らされているというわけではありません。こうしたピンポイントで固められた防御施設の集まりが「屋嶋城」である……と言う事情が、ながく忘れられた原因でもありそうです。石垣がちょろっと部分的に残っていても、それが城の一部だなんてなかなかわかんないですからねぇ。

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今はまだ一般の人が気軽に入れるような状態じゃないので、見学したい場合は教育委員会に相談して日時を調整する必要があるそうです。あと何年かしたらちゃんとした史跡公園として整備される予定なので、もうちょっと待ってくださいね!

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高松市街が一望できる眺めも最高です!

 

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文・ やなぎ ひでとし(33歳、独身♂)

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1980年、大阪府大阪市で爆誕。中学・高校時代は伊賀、大学時代は京都で過ごしたため、あちこちの言葉が混じった怪しい関西弁を操る。
現在は東京・千葉を経て、愛媛・松山に在住。普段はWindowsソフトウェアを専門とするフリーライターと、舞鶴鎮守府サーバーの提督(大将)の二足わらじ。
中国史(とくに春秋戦国時代など)が割りと好物で、好きな人物は漢の光武帝、尊敬するのは管仲・晏嬰。コーエイの『三国志』シリーズではもっぱら馬騰で遊んでいる。日本の武将では武田信玄が好き。

 

 





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