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目が大きくなっている(記念館のHP)

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歴史・戦国NEWS

坂本龍馬の妻の写真は別人だった!

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読売新聞が1月4日夕刊で、面白い歴史記事を載せています。
坂本龍馬の妻のお龍の有名な写真が別人だというニュースです。

お龍報道

お龍については3枚の写真が残っており、そのうち晩年のものは本人と確定しています。しかし、若いころの写真2枚は、1982年に地元の高知新聞が「お龍の若いころの写真」と報道したもので、真正とは認められていませんでした。
しかし、2008年の高知県立坂本龍馬記念館が、警察庁の科学捜査研究所が写真を比較したところ、「別人という証拠はない」と発表。別人ではない=本人というイメージで大きく報道されたのです。(記念館HP

3つの写真。今回、右の立ち姿と同じ写真が「プロマイド集」から見つかった

3つの写真。今回、新規のものと別に、左の立ち姿と同じ写真も「プロマイド集」から見つかった(記念館HPより

新聞報道、高知県の施設、警察庁という3つの公共性の高い組織のお墨付き(警察庁の場合はお墨付きというよりうまく使われた感があるが)を経た若いころのお龍の写真は、本人のものという認識が広がり、今にいたります。

真相は人気芸者 ほかの芸者や華族のアイドル写真集の一部だった!

そして、きょうの新聞報道でその状況は一変することになりました。新たにこの女性の写真が複数発見され、若いころのお龍の写真は、全く別人の人気芸者さんのプロマイドだった可能性がぐんと高まったのです。

読売新聞で古写真研究家の森重和雄さんが指摘しているように、

お龍は、龍馬暗殺の後、明治8年(1875年)に再婚するまで生活苦だっととされる。
森重さんによると、当時、写真撮影は高額で、庶民が複数カットを撮ることはないという。一方、写真館は人気芸者らを無料で撮影し、大量に販売していた。撮影された写真館の場所などを考慮すると、新橋芸者の可能性がある。

ということです。

現時点では、あの写真は「お龍」のものではないという状況に一気に情勢が逆転したと断言できます。

いや、まだ本物かもしれないという可能性もあるのでは?

うーん、そうですね、生活に苦しんだお龍(当時、坂本龍馬は無名)がわざわざ大金をはたいて何カットも写真撮影して、その写真をみてすばらしいと思った写真館のあるじがなぜかピンときて、当時の人気の「女優」(芸者)や華族(大名の娘さん)と一緒の写真集(組み写真)に掲載してしまうというミラクルな展開が証明されない限り、この2枚はお龍ではありえませんね。

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これまでも真贋論争

もともと、2008年の発表後も、研究者の間で指摘された異論が解消されたとはいいきれませんでした。

例えば、鈴木かほる氏は、著書『史料が語る坂本龍馬の妻お龍』(2007年)の中でこう指摘していました。

お龍の晩年の真影と比較してみると、耳の形が明らかに違う。顔貌は加齢によって変化するが、耳の形は、生まれたときから死ぬまで変化することはない。

ただ、写真では右と左が逆の耳なので、左右が違う形ということもありうるだろうなぁと。

晩年の真影と比較すると、切れ目の涼しい目が違っており、晩年のお龍の大きな目は医学的な見知からも、大きな目は細くなっても大きく変わることはない(中略)また、最近、京都市在住の人から、井口家の写真の被写体と同じ和服の同一人物が、芸者の写真の中にあったとの連絡をもらった。つまり、何ポーズものプロマイド用として撮ったものと考えられる。果たして、お龍が、写真を何枚も焼き増して配るような必然性があるだろう。

こっちは結構決定的。たしかに高知県が発表している重ね写真でも、晩年のほうが目が大きい。目がくぼんで一重が二重になることはあるが、普通は大きくならない。

目が大きくなっている(記念館のHP)

目が大きくなっている(記念館のHP)

また、後半のコメントも重要で、何ポーズもあったという写真とは、今回報道されたものと同じ、もしくは別カットのポーズ写真なのかもしれないですね。アイドル写真集説を裏付ける予言だったのかもしれません。

ちなみに、京都市在住の人というのは、霊山歴史館学芸課長の木村幸比古氏らしいです。木村氏は幕末史の本をたくさん書かれている人なので、このことについてもいずれ発表なりがあるでしょう。期待したいですね。

京都市図書館のリファレンスサービス(2010年)では、お龍の写真についての質問で、まだ論争が続いていると回答し、参考文献を載せています。参考にしてください。

お龍の若い頃の写真と言われているものは,A.井口家アルバム(京都国立博物館寄託)の写真とB.井桜直美氏所蔵の写真の2枚があり,その真偽については論争が続けられてきました。その検証については,

肯定側では,参考文献『竜馬を読む愉しさ』,『坂本龍馬殉難西尾史観 総集版』
否定側では,『龍馬と八人の女性』,『坂本龍馬の系譜』に詳しく,

その他に,『史料が語る坂本竜馬の妻お龍』,『坂本龍馬101の謎』でも言及されています。

その後,平成20年(2008)に科学警察研究所が鑑定を行ない,お龍晩年の写真と「同一人の可能性がある」と発表しました。この詳細は,『京都の江戸時代をあるく』に記載されています。

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恵美嘉樹・記

 





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