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タイタニックの悲劇を教訓に救命艇を増やしたら裏目に出て800人以上も死んだアメリカの船舶事故とは

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タイタニックやルシタニアのように、客船の沈没事故では凄まじい数の死者が出ます。一方で、何故か綺麗さっぱりと忘れ去られる例も少なくありません。前に紹介したカナダのエンプレス・オブ・アイルランド号の事故(1000人死亡!タイタニック級の惨事なのに忘れられているカナダの100年前の沈没事故)などが、その典型ですね。

今回紹介するのは、そうした忘れ去られた事故。アメリカのシカゴ川で、100年前に客船が沈没し、800人以上もの人が溺死する事故があったのです。海難事故では無く「湖難」事故となりましょうか。目を剥くような数字ですので、「忘れ去られて良いのだろうか?」と、地元の複数のメディアが報じています。

その1つ、ミシガンラジオの記事を紹介してみましょう(2015年7月24日付け)。

サイトより写真を引用させて頂きます。内航船らしく、小ぶりな造りですね。

当時の絵葉書に紹介するほどの名物船だったようです。

さて、この悲劇の船はイースターランド号という名称でした。100年前、ドックに入渠中に転覆し、乗客844人が死亡しました。その多くが25歳以下だったそうですから、余計に「記憶に留められるべきだ」となったようですね。

西ミシガン大学で歴史博士号の修得に向け頑張っているケイトリン・ペリー・ダイアル氏の説明によると、事故の発生は1915年7月24日。ウェスタン・エレクトリック社の従業員と、その家族が乗り組んでいました。今で言う慰安旅行だったのですね。
当日は、生憎の雨。乗船客の多くはレインコートを羽織って船室にいました。そうしたら、午前7時に見る間に傾き始めました。前進したかと思えば後進し、やがて完全に転覆してしまいました。たった30分の悲劇でした。
「イースターランド号は最大で2500人まで乗れるように設計されていたのですが、その限界まで乗り組んでいたのです」(ダイヤル氏)。
ダイヤル氏は、当時の目撃証言や、子孫からのヒアリングを重ねました。イースターランド号が沈む様子を近くで見た建設作業員の孫に当たるデーブ・ネルソン氏にもインタビューしています。ネルソン氏は、祖父は現場に急行し、船に穴を開けて中の人を助け出そうと試みたそうです。現場にはタグボートも駆けつけ、陸地との橋渡し役を務めていたとの事です。

サイトより写真を引用させて頂きます。

救命艇を積みすぎて重心が上になり転覆か 裏目に出たタイタニックの教訓

ダイアル氏は、複数の要因があったとしています。当時、1912年の約1500人が亡くなったタイタニック号の悲劇は広く知られており、船舶管理当局では、乗り組んだ人が全員助かるように、数に見合う救命艇を充足させるよう指示していました。イースターランド号には、タイタニック号の事故後には、それまでの6隻から11隻まで増やしました。
ところが、これが裏目に出ました。
元々はスピード重視の設計で、大勢の人を運ぶように出来ておらず、そこに救命艇を多く積んでしまったので、船の重心が上になってしまい、不安定になったのです。
折りしも、第一次世界大戦の真っ只中。戦後は戦後で、シカゴではギャングがはびこる時代となり、世間の目が集中。いつしか事故そのものが忘れ去られてしまいました。

また、乗り組んでいた人達の多くが少数民族出身で、社会的に貧しい階級だった事も忘れ去られる要因になってしまった可能性があるとダイヤル氏は指摘しています。つまり、タイタニック号みたいに大金持ちや有名人が乗っていなかったのが、こういう結果になったようなのです。

そもそも、ダイヤル氏自身がイースターランド号の悲劇を知ったのも、セント・ジョゼフ遺産博物館で働いている際、この慰安旅行を告知した絵葉書や、事故後の様子を記した写真に接した事がきっかけでした。

これがそれです。サイトより写真を引用させて頂きます。

「グレートレイクの歴史家だったのに、この事を全く知らなかったのです。それで調べて見ようと思いました。調べ終わった今、こう思います。『何故、これが忘れ去られてしまったのだろう?』と」。

確かに、数が数だけに、記憶に留めて然るべき事故ですね。恐らく、この武将ジャパンが本邦初紹介かも。改めて、亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

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