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ナポレオン歓喜!終焉の地セントヘレナ島に空港完成で絶海の孤島でなくなった!

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セントヘレナ島と言えば、ナポレオンが流された終焉の地であり、絶海の孤島というイメージがあります。

そんなイメージとも間もなくおさらば。島に初の空港が完成し、来年から運用開始。グッと近くなるのですから、歴史好きには有り難い話ですよね。スミソニアン博物館のサイトが報じています(2015年9月25日付け)。

サイトより写真を引用させて頂きます。

セントヘレナ島でのナポレオンを描いた絵だそうです。背中が寂しそう。「あ〜あ、こんな僻地に流されるぐらいなら、アメリカ政府の申し出(参考過去記事「ワーテルローで負けたナポレオンにアメリカが言った 「オレんとこ来ない(亡命しない)か?」」)を受け入れておけば良かったなぁ」と思っていたのかも(笑)。

実際、セントヘレナ島は大西洋のど真ん中とも言うべき位置にあり、ブラジルのリオデジャネイロからは2500マイル、南アフリカのケープタウンからは1200マイルも離れています。最初の追放先だったエルバ島はイタリア本土から6マイルしか離れておらず、簡単に脱出を許す結果になってしまったので、英国としては念には念を入れたかったのでしょう。

Wikipediaより引用

実際、つい最近まで絶海の孤島であり続けました。何しろ、交通の手段が船だけ。南アフリカから郵便船が3週間に1回あるのみで、しかも船内で5泊6日しなければなりませんでした。これではナポレオンのファンや歴史好きをしても、二の足を踏まざるを得ませんね。そこに、このほど空港ができたのですから、正に絶好機!

ナポレオン以外にも見どころいっぱい

今回の空港完成で、ナポレオン以外の歴史観光資源にスポットが当たりそうだと、スミソニアンでは解説しています。ナポレオン以前にも流刑地として使われていたからです。

セントヘレナは火山島で、英国領になったのは1657年。面積は47平方マイルですから、鹿児島県の桜島より少し大きいぐらいでしょうか。最初に入植したのはポルトガルの元兵士。本国で不始末をしでかし、戻って罰せられて恥をかくよりは、自分達から居残ったのだそうです。それが1515年だったとの事です。

ちなみに、ナポレオン以外にも南アフリカのズールー王国最後の国王となったディヌズールーが、英国との戦争に敗れ、この地で最後を迎えている他、20世紀初頭にはボーア戦争の捕虜6000人が移送されています。また、1957年には中東のバーレーンの王子3人も政治犯として収容されていたそうです。

一方で、こうした政治犯とは別に島民も住んでいました。自分達の事を「セント人」と称していました。先祖はヨーロッパの農民や中国人労働者、アフリカやアジアの奴隷と様々だったそうです。1987年に行われた国勢調査では、人口は5644人でしたが、その後は若い人たちを中心に、各地で職探しをしようと島を離れるケースが増えており、島の将来が危ぶまれていました。

空港の完成は、こうした状況を打破するのに役立ちそうですね。建設の計画が発表されたのは2010年でしたが、英国の不況により関連の予算がつかず、実現に時間がかかっていました。5年後の今年に完成し、9月15日には1番機が試験着陸しています。

島のマーク・ケープス知事は、空港の完成は島民達にとって長年の悲願であり、とても喜んでいると話しています。「計画が持ち上がってから多くの障害が発生し、実現するかどうか疑問視する声が上がっていました。でもこうやって完成し、飛行機が降り立つなんて」と嬉しそう。ただ、残念ながら本格運用は来年から。ワーテルローで敗れたナポレオンが島に到着したのが1815年10月15日なのですが、それに合わせてのオープンは難しそう。実現していたら、観光客が殺到しただろうに、惜しいなぁ。

なお、ナポレオンが島で最初に幽閉されたのはブライアーズ・パビリオンという施設でして、今なおあります。南大西洋の航海というHPに写真があったので引用させていただきます。

快適そうですけど、小さな家ですね。勿論、訪問OK。その後、ロングウッド・ハウスに更に移送され、そこで生涯を終えます。ウィキペディアの日本語版に写真があったので引用させていただきます。

今はフランス領事館として使われているそうです。なお、ここから近い場所に、ナポレオンが最初に埋葬された墓の跡があります。

「ナポレオンの伝説は島の一部となっています。空港の完成で、島への交通の便が良くなったので、そうしたナポレオン好きな人が大勢お越しになられるのを期待しております」(ケープス知事)。島民たちも、観光客が殺到すれば英国政府の助成金に頼らず経済的に自立できるチャンスだと思っているそうです。

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天正少年遣欧使節も訪れた

そうなったら良いですね。天国のナポレオンも喜ぶでしょう。なお、ウィキペディアの日本語版によりますと、天正少年遣欧使節の一行が寄港していますし、浦賀に来訪したペリーの艦隊も島で物資を補給するなど、日本とも縁があります。そういう意味で、武将ジャパンの読者の皆様も、一度は訪れるべき地かもしれませんね。

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