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これは恥ずかしい!イスラエルの初代首相ダヴィド・ベン=グリオンが愛人に宛てた手紙がオークションに

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英雄色を好むを地で行く話?
イスラエル建国の立役者の1人で、初代首相を務めたダヴィド・ベン=グリオンが、首相就任前に愛人に宛てた手紙がオークションにかけられるのだそうです。どひゃー。遺族にしたら顔をしかめたくなりますよね。

タイムズ・オブ・イスラエルが報じています(2015年10月30日付け)。

若くてベッピンの愛人

オークションは12月2日に行われます。ケデム・オークションハウスというところが開催します。最低価格は2万ドルだそうです。全部で38通。手紙の他に電報も使っていたそうで、それらもオークションに掛けられます。電報会社の社員に見られていたって事か。結構危ない橋を渡っていたんだ(笑)。

というか、数多くね? 当時のベン=グリオンは47歳。分別のついていた年齢の筈の年齢だったのでしょうに、色の道にのめり込ませた相手はどんな女性だったのか? サイトより写真を引用させていただきます(どうも、イスラエルのツイッターのユーザーで話題になっているみたいですね)。

納得です。お約束ですけど、若くてベッピンさんですな。そら、出すわ38通も。 さて、このお相手の女性なのですが、レジーナ・クラップホルツというお名前。レガとも呼ばれていたそうです。年齢は26歳。ウィーンで医学を学んでいました。一方、ベン=グリオンは結婚生活15年目。3人の子宝にも恵まれていました。ついでだし、ウィキペディアの日本語版の写真も引用させてもらいましょう。 2人が出会ったのは1930年代初期。つまり、ご家族の平穏な写真を撮影してから数年後に、日本風に言えば「火宅の人」モードに突入したのですね。愛人関係は都合4年間続いたそうですから、渡辺淳一さんが健在だったら絶対に小説のネタにしてたやろなぁ(笑)。

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愛するレガへ…たった今手紙を受け取ったよ

ベン=グリオンがイスラエルを建国したのは1948年。つまり、建国の前に愛人を作っていた訳です。愛人を作っていた頃は、ウィキペディア日本語版によると、次のような感じだったのですって。

1930年にはヒスタドルートを基盤として、ハポエル・ハツァイル(Hapoel Hatzair、青年労働者、1905年にA. D. ゴードンにより創設された。)と合同し、より労働党右派の傾向の増した「マパイ党[† 3] 」を結成して政治的影響力を強め、ベン=グリオンは指導者となった。マパイは左派の機関だったが、他の派閥ほど左寄りではなかった。労働シオニズムの左派の代表としてはマパム(Mapam)があったが、労働シオニズム右派は世界シオニスト機構の議会において優勢化する傾向があった。1935年にはベン=グリオンはパレスチナのユダヤ機関の執行委員会の議長となり、役職は1948年のイスラエル建国まで続いた。

と、後の建国に繋がる組織固めをしていた時代。いろいろと気苦労があったとは推察されます。いや、気苦労があるからこそ、若い女性にのめり込んだのかもしれませんね。ラブレターは、次のような文面だったそうです。 「愛するレガへ…ちょうど今、きみの手紙を受け取ったよ…。僕が今、欧州にいるんだけど、君が今いる場所からは遠いんだ。それを受け入れるのが辛いよ」という書き出しの文面が1934年9月付け。 中学生のラブレターかよ? 更にこう続きます。「君は僕に、ウィーンに来てと願っていたけど、僕だってそうしたかったんだよ。僕がどれだけ君という『若くて愛らしい女の子』を気にかけているか、どれだけ会って一緒にいたいと思っているかなんて分からないだろうね」 再度言わせてもらいます。 中学生のラブレターかよ? と言うか、イスラエル建国は一体どうなってんだよ!←すんません、もてない君なので、こういうのには厳しいワタクシメだったりします。 他の手紙の中で、密会の場所はウィーンが良いのではないかとか、どこが良いか教えてくれなどという内容も書かれていたそうです。この他、イスラエルに来てくれとの手紙も見つかっています。いよいよ「家宅の人」ですな。

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他にも愛人がいたんだって、なんと4つ股

「今で言う遠距離恋愛って感じだったんだろうな。障害がある方が恋は燃え上がるし」と、賢明なる武将ジャパンの読者の皆様はお思いでしょう。すんませんが、少し違うんです。 愛人は、このクラップホルツだけではなかったんですって。そう指摘するのは歴史家のマイケル・バーソハー氏。「2人の間には長年の間ロマンスがありました。しかも燃え上がっていたと言って良いでしょう。ただ、今日明らかになっているのは、ニューヨークにも愛人がいたし、更にロンドンにも愛人がいたという事です。別の時期にも違ったガールフレンドがいました」。えーっと、ニューヨークとロンドンとウィーン。本妻を入れたら四つ股やないの。しかも、中にはベン=グリオンからのラブレターを後生大事に取っていた愛人もいたのだそうで、上記の写真とかも考えると、政治家として良くスキャンダルにならなかったもんですなぁと言わざるを得ない(汗)。「ただ、今回のラブレターは、よりエモーショナルでロマンチックな内容ですね。若い男性の手紙みたいですし」(バーソハー氏)。 さて、オークションの主催者によると、そんな2人の関係は1934年に終わりを告げます。クラップホルツがイスラエルに移住し、ベン=グリオンの自宅を訪ねたのです。危険水域突入! ところが、待っていたのは笑顔をたたえた妻のパウラ・ベン=グリオン。恐るべし女の洞察力。とっくの昔に2人の関係を察知していたのでした。 その後、どんな展開があったかは不明です。ただ、ベン=グリオンとクラップホルツとが死海で撮影した写真3枚を渡したそうです。「レガさんへ、パウラより。1935年9月7日」との日付からすると、関係が終わった後に送りつけるかしたんでしょうね。以後のベン=グリオン家の空気は、大方想像がつきましょう(汗)。 なお、クラップホルツは長生きして、2007年に100歳で天に召されています。どうしてオークションに出されたのかは記事にありませんが、ラブレターは「全体として良い保存状況」(関係者)だそうで、「上から消してみたり、シミや、ところどころに涙が落ちた後が見受けられます」と、何とも生々しいようです。サイトより写真を引用させてもらいます。確かに消した跡がある。うぅぅむ。

まぁ、4年も妻子持ちと遠距離恋愛やっていたら、そうなるかなぁ。ちなみに、ウィキペディア日本語版によると、ベン=グリオンは死後「タイム誌」に20世紀の最も重要な100人の1人に選ばれているそうですが、展開次第では圏外だったかもしれないのでしょうね(苦笑)。そういう意味で、奥さんも20世紀の最も重要な100人の1人に入れておいた方がエエのかも。

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