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大リーグの野球賭博や八百長歴一覧(後編) ついには4,000本安打のピート・ローズまで

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先日に引き続き、野球賭博や八百長の歴史、後編です(前編はコチラ)。

その前に、「他にどんな理由で追放されたケースがあるの?」と思われる向きもありましょうが、簡単にお答えします。独立リーグとの二重契約が多いようですね。1920年のジョー・ハリス(クリーブランド・インデイァンズ)などが代表例です。メディア中継のない時代は、球場での試合入場者数がほぼ全ての収入に繋がるようで、勢い人気の無いチームに所属するとキツかったようです。

もっとも、ハリスは第一次世界大戦に出征した事もあって、お国のために尽くしたんだからという世論もあったのか、後の1922年に復帰できています。

なお、八百長や賭博以外の話も、ちょっと話の流れから必要なので盛り込んでいきます。

 

またジャイアンツから

で、本題に戻りますが、ハル・チェースと同じ永久追放ケースが1921年に発生しています。しかも、またしてもニューヨーク・ジャイアンツからでした。「1人いれば、他にもいる」となるのでしょうか。そういや、同じ日本のジャイアンツからも次々に出ていますよね。

この時はヘイニー・ジマーマンという内野手。ナショナル・リーグで首位打者1回(1912年)、最多本塁打1回(同)。リーグ最多打点2回(1916年と17年)を記録しています。

Heinie Zimmerman/Wikipediaより引用

押しも押されぬ大選手の筈だったのですが、魔に魅入られてしまったのですね。どうも、1917年のワールド・シリーズで1割2分しか打てず、それが原因でホワイトソックスに負けた当たりから「あれだけシーズン中に打てたのにおかしい」となったらしい。その上、シリーズ中の守備で無気力プレーもあったのですって。

発覚そのものは1918年。証言が出てきたので、チェースともども聴取されたのですが、頑として否定していました。しかし、翌1919年のシーズン中は自宅謹慎処分となり、遂には永久追放となってしまいました。1969年に82歳で死没。追放時に34歳でしたから、もう少し活躍できたでしょうに。ちなみに、生涯打率は2割9分5厘。ホームランは58本。打点は796点だったそうですから、色んな意味で惜しいですね(以上、本人のウィキペディア英語版などより)。

…なお、1920年には同じジャイアンツから、ベニー・カウフという外野手が盗んだ自動車を売りさばいたという容疑で永久追放処分になっています。1914年に首位打者と打点王と盗塁王に輝いています。翌15年にも盗塁王になっていたそうですが、盗むのは2塁だけにしておけば…。ちなみに、裁判では無罪になっていますが、「疑わしきは厳罰に」とするコミッショナーのケネソー・M・ランディスの方針があったようです。生涯打率は3割1分1厘。本塁打は49本。打点は454点でした。1961年に71歳で死没。

Benny Kauff/Wikipediaより引用

活躍する選手ばかりが相次いで不祥事をやらかしていただけに、当時のジャイアンツのオーナーは頭痛どころでは無かったでしょう。

ちなみに、これほど続いたのに、1924年にジミー・オコンネル外野手とコジー・ドーランというコーチが、フィラデルフィア・フィリーズでショートを守っていたハイニー・サンドに八百長試合を持ちかけ、またしても永久追放処分に。この選手は1923年にデビューしていたそうですので、2年目にやらかした訳です。ガバナンスはどうなっていたんでしょうね。

 

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暫くは平穏な時代が続いたが…

ともあれ、ランディスの徹底的な浄化によって大リーグが浄化されていきました。第二次世界大戦中の1944年に本人が亡くなりますが、後任のアルバート・ベンジャミン・チャンドラー・シニア(通称、ハッピー・チャンドラー)と、フォード・フリック、スパイク・エッカートのコミッショナー3代の時代に永久追放された選手らは皆無でした。やっただけの事はあったのでしょうか。

再びスキャンダルが浮上するのは1980年ですが、この時はファーガソン・ジェンキンスというテキサス・レンジャースの投手で、コカイン3グラムを所持していたのがカナダのトロント入りした際、税関検査で見つかりました。八百長や野球賭博では無かったのですね。

で、今回のシリーズのテーマである八百長や野球賭博絡みで追放処分が出たのは1989年。そう、あのピート・ローズです。この時はアンジェロ・バートレット・ジアマッティという人がコミッショナー。イェール大学の教授さんで、英文学を専門となさっていたのですが、熱心な野球ファンである事などからナショナル・リーグの会長に就任し、その後の1989年に第7代コミッショナーになりました。で、いきなり出てきたのがローズの疑惑でした。

事件の経緯はウィキペディア日本語版にも詳しいので割愛しますが、要は賭博の対象に監督を務めるレッズも含めていたのが致命的でした。大リーグの歴史に刻まれるべき成績を残していただけに、ジアマッティの心労は尋常ではなかったのでしょう。処分決定の8日後に心臓発作に襲われ、就任半年を待たずに世を去ります。

その後、フェイ・ビンセントがコミッショナーに就任しますが、この人の在任中にはニューヨーク・ヤンキース絡みの不祥事が続発します。オーナーのジョージ・スタインブレナーが配下のデーブ・ウィンフィールド外野手のトレードを巡り、私立探偵を雇って本人に関する不利な情報を収集した事が露見し、1990年に資格停止処分に。92年にはスティーヴ・ハウ投手がコカイン所持で。この人には早くからコカイン中毒になっており、出場低処分を受けていた黒歴史があります。もっとも、後に復帰し、ヤンキースのクローザーとして活躍していました。

ちなみに、1987年に西武ライオンズの入団テストを受けていますが、そうした過去が祟って不合格となっています。…そういや、この頃の清原は西武で2年目ですね。コカインの怖さを目の前で見ていただろうに。

Steve Howe (baseball)/Wikipediaより引用

以後、バド・セリグ(1998~2015)時代には1件。レッズのオーナーがナチスを賞賛し、黒人を見下す発言をした事を理由に1996年に資格停止処分に。チームの売却に追い込まれました。現在のロブ・マンフレッド氏の下では、ロサンゼルス・ドジャースのヘンリー・メヒア投手がドーピング違反で永久追放となっています。

賭博や八百長は根絶できたものの、今度は薬物とのバトルという局面でしょうか。大変ですねと対岸の火事視出来ないところが、何とも情けない限りですが。

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