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ドイツ 歴史・戦国NEWS

ナチスに盗られた黄金をゴールド・ハンターが…… 「3億5000万ポンド相当のお宝を発見したぞ!」

更新日:

第二次世界大戦中にナチスに盗まれ、所在が分からなくなっていたエカテリーナ宮殿の琥珀の間のあったとされる黄金を、ゴールド・ハンターが見つけたと主張しています。3億5000万ポンドに相当するとの事ですから、巨額ですね。

英国のデイリー・エクスプレスが報じています(2016年4月22日付け)。

 

実はドイツに運ばれていなかった?

サイトより写真を引用させて頂きます。発見したのはパルトロミエ・プレバンチックという方。右側の、佇んでいる方です。その前に、琥珀の間についてウィキペディア日本語版から引用させて頂きしょう。

琥珀の間に使用された装飾は、ロシア西欧化の基礎を築いたピョートル大帝プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世から譲り受けた装飾が元になっている。
琥珀の間の原型とも言える「琥珀の部屋」はプロイセンで構想され、制作が開始された。当時のプロイセン王フリードリヒ1世は、琥珀の部屋の装飾、独創性を好んだという。しかし、フリードリヒ1世は琥珀の部屋の完成を見ることなく、この世を去っている。
その後、琥珀の部屋の装飾はフリードリヒ1世の子、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の時代に、ピョートル大帝が所望し、贈られることとなる。しかし、装飾はすぐに組み立てられることはなく放置された。
ピョートル大帝の死後、即位したエリザヴェータは自国文化の更なる西欧化を図ったが、冬宮(現在のエルミタージュ美術館)の改築の際に、放置されていた装飾は宮殿の謁見の間の装飾として、ロシアで作られた装飾と共に利用された。こうして、当初のプロイセンで構想された琥珀の部屋より大きく広い空間となった。この時点で琥珀の間としては完成していたと考えられる。
その後、琥珀の間は夏宮に移された。完成は1770年エカチェリーナ2世の時代であった。エカチェリーナ2世は琥珀の間をことのほか愛し、部外者の立ち入りを禁止していたという。
(中略)
第二次世界大戦中の1941年6月、ナチス・ドイツ独ソ不可侵条約を破り、当時ソビエト連邦となっていたロシアに侵攻した。7月にはドイツ軍はレニングラードと名を変えたサンクトペテルブルクに進行し、9月にはエカテリーナ宮殿へ入ることとなる。その後、宮殿内にあった多くの美術品と共に琥珀の間の装飾は略奪された。ドイツによる侵攻先での美術品の略奪は、ヒトラーによる新美術館の建築のためであった。
琥珀の間の装飾はケーニヒスベルク(現ロシア領カリーニングラード)に運ばれた。そして、ケーニヒスベルク城の博物館で保管されることになる。
琥珀の間は、暫くカリーニングラードにて展示されたが、イギリス空軍の空爆にあい、琥珀は全て消滅したとされている。

となっていますが、プレバンチック氏によると、どうも違うようなのですね。

略奪後にドイツの船に乗せられるのを見たとの証言があったのですが、今回改めて調査したところ、ポーランド北東部のマズールィ湖水地方にあるナチス時代の建物の地下室にある事が分かったと、同氏は主張しています。

ナチスが秘密の地下壕として作ったらしく、大きさも3メートル前後だったとの事。小さすぎて、これまでの調査研究で見落とされていたようです。

 

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1950年代から噂になっていた

ただ、ポーランドでは1950年代から噂になっていたのです。ナチスのウクライナ総督だったエーリヒ・コッホが、戦後ポーランドの刑務所に収監中に仄めかしたのがきっかけでした。

コッホは権力の絶頂期にあった頃、この建物は難攻不落とされており、即応体制で戦車が駆けつけるようになっていたそうです。それもあって「そこまで厳重であるからには、何かがあるのではないか」と、戦時中から地元民に見なされていたようです。

サイトより、再度写真を引用させて頂きます。

プレバンチック氏は、内部を調査したいと、ドリルで穴を開ける事の許可を地元当局に申請中なのだそうです。
ポーランドのメディアの取材に対し、同氏は「戦後、ポーランド軍の土木工兵が、地下壕の基礎部分のあちこちにハッパをかけたけど、何も見つけられなかったんだ。だから私は地中探査レーダーを使ってみた。そうしたらお宝が見つかったって訳さ」と答えています。

ただし、実物とのご対面はまだ。「ドリルで穴を開けて、内部をビデオカメラで探索する必要がある。ところが、保存している当局の許可を待たなければならないんだよ」

なお、琥珀の間は、建材として琥珀以外に宝石や黄金が使われていました。今日の金額で3億5000万ポンドに相当するとされています。

日本円に換算して、約560億円。ごっつい額ですね。

ちなみに、ウィキペディアの日本語版によると、琥珀の間は苦労の末に修復されたとの事。もし本当に地下壕から建材が発見されたなら、歴史的な大発見となるのでしょうけど…今度はロシアとポーランド両政府の間で揉めそうな悪寒が(汗)

 

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