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ウインザー公とヒトラー/スカイニュースより引用

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ウィンザー公とナチス&ヒトラー こうして黒歴史は暴かれた、チャーチルの隠蔽工作も共に

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今回の加計学園の件を見るに、「政府機関の情報って、後から湧いて来るもんやなぁ」と思ってしまう人は多いでしょう。それって、古今東西を問わないみたいですよ。

あのチャーチルが、戦後に英国の首相に返り咲いた際、いわゆる「王冠をかけた恋」の末に国王の地位を捨てたエドワード8世(後のウィンザー公)がナチスとの繋がりがあった過去を隠蔽しようと、アメリカのアイゼンハワー大統領に働きかけていた事が、公文書の解禁により明らかになりました。

英国のスカイニュースが報じています(2017年7月20日付け)。

 

隠したいけど隠しきれないから黒歴史?

実はトンデモナイ奴を信頼してしまったというのは誰しもある経験ですが、その最悪例となりましょうか。

以下、ウィキペディア日本語版から引用します。

1937年10月、ウィンザー公夫妻はイギリス政府の忠告に反してヒトラーの招待を受けてドイツを訪問し、ヒトラーの山荘であるベルヒテスガーデンに滞在した。夫妻の訪独はドイツのメディアで大々的に報道され、滞在中の挨拶はナチス式敬礼で通していた。

ドイツのオーストリア併合やチェコスロバキア併合の実施など、ドイツによる覇権拡大政策をめぐりヨーロッパにおける情勢が緊迫を増し、英独関係が悪化を続けた後もしばしばドイツを訪問しその都度大歓迎を受けたため、イギリス王室・政府は大慌てとなった。当時イギリスではネヴィル・チェンバレン政権によるドイツに対する宥和政策が進められていたものの、ウィンザー公夫妻による度を越したドイツへの肩入れは、ドイツに誤ったシグナルを送るものとして批判された。

1939年9月1日にドイツがポーランドへの侵攻を開始したことを受けて、9月3日にイギリスとフランスがドイツに宣戦布告した直後に、ルイス・マウントバッテンの命令で、夫妻は滞在先のフランスから海軍駆逐艦「ケリー」で帰国させられ、ウィンザー公はフランスのマジノ線における陸軍の軍事作戦に従軍する少将に任ぜられた。

その後、1940年5月のドイツのフランス国内への進軍に伴い、夫妻は南へ移住することを決め、同月にフランスのビアリッツ、6月にスペインに滞在した後、7月にポルトガルのリスボン在住の英独双方と接触を持つ銀行員の邸宅に身を寄せた。

リスボン滞在中の1940年7月に、ヒトラーが「イギリス政府の理性的反省にもとづく和平交渉に臨む用意がある」としたうえで、「この提案を無視すればイギリス本土での全面戦争も辞さない」と述べたことに対し、ウィンザー公はロイド・ジョージ等とともに和平に応じるよう呼びかけた。このウィンザー公の言動に対して、対独強硬派のチャーチル首相が「ウィンザー公の欧州戦争に対する影響力を最小限に止めたい」と主張したことから、同年8月18日にイギリス政府は、ウィンザー公をイギリスの植民地であり、ヨーロッパの戦場から遠く離れたバハマにおける総督と駐在イギリス軍の総司令官に任命した。

総督とはいえ、実際には名誉職であり、閑職も同然という状態であったが、バハマを「3等植民地」として言及し、農業生産の拡大や子供たちを対象とした診療所の開設など、同地域における貧困対策に尽力する姿勢は、一定の評価を受けた。しかし、前述のような人種差別志向から、ウォリス夫人と同様、現地の黒人を差別するような言動も多かったと言われている。

また、ヘルマン・ゲーリングとの間に、ドイツが勝利した後に自身をイギリス国王へ返り咲かせる、という密約を結んだうえで、連合国の情報をドイツにリークしていた、という疑惑が挙がったこともあり、1941年4月に夫人と共にアメリカのフロリダ州パームビーチに出向いた際は、ルーズベルト大統領の指令により、常にFBIの監視下に置かれていたと言われている。1945年3月16日に総督を辞任した直後は、同年8月の第二次世界大戦終了までアメリカでバカンスを過ごした。

英米両国で要注意人物と見做されていた事が歴然ですね。

さて、チャーチルが特に深刻視したのが、ナチスによるある計画でした。

当時、英国はナチスの暗号解読に成功。ヨヒアム・フォン・リッペントロップ外相が、ウィンザー公を滞在先のポルトガルからスペインに誘い込もうと計画を練っていた事を突き止めます。「スペインに着いたら、英国との和平の一環として国王に再び即位する事を提案しろ」という内容でした。

戦後、こうしたナチスとの繋がりを指摘する歴史書や論文が数多く出されました。ですが、英国の国立公文書館で発見された文書は「チャーチルがウィンザー公の評判に傷がつくと心配し、隠蔽しようとした」というのがミソとなりましょう。

 

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生々しいスペイン大使館への指令、ウィンザー公の国王蔑視も明るみに

実際、リッペントロップがスペインのドイツ大使館に発した指令を読むと、その生々しさに驚かされます。「あらゆる手段を講じて英国に和平を結ぶしか無いと思わせるようにせよ」というのが、その根幹。もし公爵夫妻が欧州を離れるようなら、チャーチルが英国の諜報機関を使って暗殺しようとしていると思い込ませようとしていたのだそうです。

また、リッペントロップとスペインの現地諜報員との会話の録音から、ウィンザー公が「英国の現状の政策と自ら関係を断ちたいとの考えに取り憑かれている。また、夫妻ともども現国王のジョージ6世を愚か者だと思っている」事を知ります。特にシンプソン夫人に、その傾向が顕著な事も分かってしまいました。実際、夫妻と会見した諜報員によると、夫人はウィンザー公の復位に興味を隠しきれない様子だったそうです。

1919年のチャーチルとウィンザー公/スカイニュースより引用

 

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「王室の家族関係がヤバくなる!」と感じたチャーチルは…

「うわー、公けになったらヤバイがな」って話ですよね。隠蔽は良くないけど、そうしようと考えたチャーチルの気持ちは理解できます。

実際、チャーチル本人は首相に返り咲いた1953年、こうしたやり取りを、情報として共有していたアイゼンハワー大統領に外交電報を打ち、「公にするのは10年から20年ほど待ってくれないか」と懇願していたそうです。

電報の中で、チャーチルは「公けにしてしまったら最後、ウィンザー公はナチスの諜報員と親しい間柄であり、国王復位の申し出に乗り気だった事が明らかになり、王室への忠誠心が疑われましょう」と危機感を露わにしていました。

ところが、悪事千里を走ると言いますか。こうしたナチス側のやり取りを傍受した文書は、4年後に公けとなってしまいます。公文書の公開担当者が自らの地位と引き換えに、世に問うてしまったのです。

かくて黒歴史は世間に広まってしまいましたとなりましょう。そして、今回の公表で、晩年のチャーチルの黒歴史も明らかになってしまった訳で、いやはやって感じですね。

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