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英国チャーチル元首相のお気に入りスパイ「ジョン・ポッター」秘密を墓場まで持って93歳で死去

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今夏も敗戦特集でNHKが頑張っておりましたね。

酷い話のオンパレードに心底ゲンナリする一方、証言を寄せていただいた方々が高齢なのを見ると「あぁ、第二次世界大戦はこうやって歴史の一章になっていくんだなぁ」との思いに駆られます。

そんな中で紹介するこの記事も、歴史の一章となりましょうか。

英国で、チャーチル首相に活動を直接報告していた元スパイが93歳で世を去りました。

過去を妻にも語らぬままの死。文字通り、「秘密を墓場まで持っていった」生涯。

デイリー・ミラー紙が報じています(2017年8月17日付け)。

 

フランスでレジスタンスグループを率いた凄腕の若手スパイ

亡くなられたのはジョン・ポッター氏。
ケアハウスで、静かに息を引き取られたそうです。享年93。

ジョン・ポッター氏/デイリー・ミラー紙より引用

ここから逆算すれば、第二次世界大戦終結時は21歳となります。
ハイティーンをスパイ活動に捧げ、なおかつ下っ端では無かったとなります。
よほどの凄腕だったのでしょう。

チャーチル首相に個人的な報告が出来るほどの信頼を得る一方、ダッハウ強制収容所の解放の模様をニュールンベルク裁判で証言までしています。

スパイとしてのデビューは18歳でした。
フランスに潜水艦で密入国し、ナチスの占領地域でレジスタンスを率いる目的を秘めて潜入したのです。

ところが、英国にはOfficial Secrets Act(国家機密法)という法律があり、このような秘密活動を漏らすのはタブー。1973年にウィーンで運命の出会いを遂げ、妻となったミッドランドさんにさえ告げていなかったのです。

「信じられない人生だったのね。公にする価値があると思うわ」
ミッドランドさんはそう語っております。

晩年のジョン・ポッター氏/デイリー・ミラー紙より引用

画像は晩年のポッター氏。デイリー・ミラー紙より引用させていただきました。

開戦時を振り返りまして、当時、西サセックスに住んでいたポッター氏に、他の青年と同様に召集令状が届きます。
ただ、本人が足に問題を抱えていた事もあり、このときは免除されました。

本人としては、得意だった数学と化学の学業を全うしようと考えていたのですが、ドイツ語とフランス語が得意なのをSpecial Operations Executive(特殊作戦執行部)に注目されます。

特にフランス語がネイティブ並に話せたようで、南フランスのSaint-Flourで亡くなった同世代の少年に化けても見破られないだろうと見做されたのです。

かの地での任務は、レジスタンスの統率。

「親にも言ってはダメだと念を押されていたようです」(ミッドランドさん)

 

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チャーチルにブランデーをおごられながら「幸運を祈る」

18歳の身には過酷すぎる任務ですね。
一方で、定期的に英国に戻っては、チャーチル本人に情勢報告をしていたそうです。

「何時も送り出されるときにブランデーをおごってもらい、『幸運を祈る』と言われていたようです。最後の訪問はノルマンディー上陸作戦直前。『今まで本当に良くやってくれた』と労われたそうです」(ミッドランドさん)

レジスタンスの指導中は、アメリカ軍の誤射によってメンバーの1人が亡くなった以外は損害を出さずじまいだったそうで、そこらの指導力に対する言葉だったのかもしれません。

本人はDデー当日のBBCの速報で、労いの意味する所を知ったのでしょう。

 

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今度は米軍から強制収容所解放作戦で支援を頼まれる

優秀な人材は放って置かれないのが世の常。
今度はアメリカ陸軍の参謀から、フランス各地の街や強制収容所の解放作戦で、誤射などの事故が起きないように支援を求められます。

作戦への随行はフランスだけでなく、ドイツまで続きました。語学力が活かされたのですね。

「ダッハウ強制収容所の解放にも立ち会ったのですが、想像を絶する悪臭だったそうです」(ミッドランドさん)。

以下の画像は遺影を掲げるミッドランドさん(デイリー・ミラー紙より引用させていただきます)。

遺影を掲げるミッドランドさんデイリー・ミラー紙より引用

 

戦後、思いもよらぬ形で学んだ化学の知識が生かされ

戦後、今度は語学だけではなく、積み重ねてきた化学の知識が生かされる機会に巡り会います。

毒ガス処理の連絡員として、お呼びがかかったのです。
どんな心境だったのでしょうね。

なお、こうした活動を終えた後は大学に進学し、化学を専攻。卒業後は、化学の世界で身を立てました。
5人の子供と10人の孫、ひ孫は15人に恵まれました。

人生で一番多感な頃に、計り知れないほどの光景を目にした一章だったのでしょう。

奥様がどのようにして真相を知ったのかが書かれていませんが、それはそれでスパイ小説のようであり、ある種の趣を感じさせます。

また、真相を詳細に報じていくのがメディアの役割であり、この武将ジャパンの役割でもあるのでしょうか。合掌。

南如水・記

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【参考】デイリー・ミラー紙

 





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