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イスラエルで発見 2700年前の排水システムが立派すぎて考古学者がギョーテン!

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2017年の夏は、雨続き。
場所によっては洪水が発生するなど、憂うべき状況ですね。
1年分の雨が一辺に降るなど、排水のコントロールの難しさを感じさせる状況でもあります。

そうした中で考えさせられるのが、この記事でしょう。

イスラエル中部で、2700年前の地下貯水池の跡が発見されました。

イスラエルで発見された2700年前の排水システム/i24NEWSより引用

イスラエルといえば、砂漠の国というイメージがありますが、実際その通りで、日本とは逆に、少ない水をいかに大切に使おうとしたかが偲ばれる作り。
これには、発掘に当たった考古学者も仰天しています。

イスラエルのi24NEWSが報じています(2017年7月20日付け)。

 

デカイぞ! しかも頑丈だし

雨水を貯水する目的で作られたらしく、地下24メートルの深さにあったそうです。

場所はロッシュ・ハアイン。今でも住宅街として多くの人が集う場所だそうです。

記者発表を行ったイスラエル考古学庁では、「こんな大昔に作られていた事に驚くなという方が難しい」と、驚愕しています。それもそのはず、鉄器時代の末期で、今から約2700年前というのですから。

「古代において、雨水を集めて貯めておくというのは必須事項でした。年間の雨量が500ミリなので、冬場の雨を簡単に貯められるようにしていたのです」(考古学庁)

ちなみに、気温と雨量の統計のページというサイトによると、国内最低の降水量地域は北海道オホーツク地方常呂ですが、それでも700.4ミリ。正に水が生命線だったのですね。

なお、入口付近の壁には人や十字架、植物のモチーフの彫り物があったそうです。後世になって追加されたらしい。
それだけ長く使用されていたのでしょう。

排水システムのあった場所・住宅街になっていますね/i24NEWSより引用

 

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当時の国土交通省が建設?

「この地下貯水池は、今まで農場跡から出土したのとは違った特徴があります。秩序だった計画や、壁の分厚さや立派な作りである事を考えると、当時の行政府が周囲の農場を管理する目的で建設したと考えられます」(考古学庁)

イスラエルでは、最近になって第一神殿時代(紀元前10世紀頃の、いわゆるソロモン王から紀元前5世紀にかけての時代)の農場跡が出土しています。

同国の文部省と考古学庁の共同教育プログラムとして、発掘が続いているのだそうです。

そんな中での大発見。今後の予算獲得も含め?(あくまで勝手な想像ですけど)、早速成果をTwitterで流しています。

なお、こうしたインフラは紀元前720年頃にイスラエル王国が滅亡した際に破壊されたと考えられています。

学者の中には、この地は当時のアッシリア帝国が入植しようと考えていた節があると唱える人もいます。
西部の国境近くでもあり、他国との通商路近くでもあったそうです。

だからこそ、農場と農民を住まわせるなどして、既成事実としておきたかったのかもしれませんね。

i24NEWSより引用

そういう風に考えると、当時の地政学的な事情もあったんだろうなという話になりますでしょうか。立派なのは、それなりに理由もあると。

考古学の話だけど、やけに生臭い?

南如水・記

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【参考】i24NEWS

 





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